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略奪と創造

なぜ学校では正しいはずなのに苦しくなるのか|神格反転

学校は、「正しいこと」を学ぶ場所だったはずだ。

先生の言うことを聞くこと。
ルールを守ること。
空気を乱さないこと。
みんなと同じように行動すること。

それらは、どれも間違ってはいない。
むしろ「良いこと」だと教えられてきた。

けれど、ふと思ったことはないだろうか。

なぜか、いつも同じ人が我慢していた。
なぜか、声の大きい人の意見だけが通っていた。
なぜか、「正しいはず」の場所で、誰かが静かに疲れていった。

いじめがあったわけではない。
誰かが明確に悪かったわけでもない。

それでも、確かに
「削られている人」は存在していた。


学校では、よくこんな言葉が使われる。

・みんなのためだから
・我慢も大切な勉強
・今は辛くても将来のため
・波風を立てないことが大事

これらは、暴力ではない。
命令でもない。

むしろ、とても「もっともらしい」。

だからこそ、違和感は飲み込まれる。

「自分が弱いだけかもしれない」
「周りはちゃんとやっている」
「文句を言うのは甘えだ」

そうやって、疑問は自分の中で処理されていく。

ここで、よくある説明がある。

「学校は閉鎖的だから」
「教師が悪いから」
「いじめっ子がいるから」

もちろん、それが原因のこともある。

だが、それだけでは説明できない場面も多い。

誰も怒鳴っていない。
誰も殴っていない。
誰も「悪意」を見せていない。

それでも、

・役割を押し付けられる人
・空気を読む係にされる人
・問題が起きるたびに調整役を担わされる人

は、いつも決まっていた。

気づけば、その人が疲れていく。
だが、誰も責められない。

なぜなら、
「みんな正しいことをしている」からだ。

もしかすると、
問題は「誰が悪いか」ではないのかもしれない。

善意が集まった結果、
正しさが重なった結果、
効率よく回すための判断が積み重なった結果、

ある種の流れができてしまっただけ。

その流れの中で、
一部の人の時間や感情や余力が、
少しずつ、当然のように使われていく。

それは命令ではない。
強制でもない。

「そうした方がいいよね」という合意の積み重ねだ。

学校を卒業しても、
この感覚が消えなかった人もいるだろう。

職場で。
家庭で。
コミュニティで。

形は変わるが、
「誰も悪くないのに、誰かが削れていく」
という構図は、何度も現れる。

もし、あの頃感じていた
言葉にできなかった違和感が、
今もどこかに残っているとしたら。

それは、
あなたが未熟だったからでも、
空気が読めなかったからでもない。

ただ、
そういう“配置”の中に、
長い間、置かれていただけなのかもしれない。

この構造は、
いつ、どこから始まったのか。

なぜ、正しいはずの場所で、
疑問を持つことが難しくなるのか。

そして、
なぜ人は、分かっていても、
そこに留まり続けてしまうのか。

この先では、
その流れを一つずつ、
ほどいていくことになる。

答えを出すためではない。
誰かを断罪するためでもない。

ただ、
「何が起きていたのか」を
見える形にするために。

もしこの文章を読んで、
少しでも「自分のことかもしれない」と感じたなら。

それだけで、もう十分だ。

続きを読むかどうかは、
あなたが決めればいい。

もし、この文章を読んで
「学校の話なのに、今の自分のことみたいだ」と
少しでも感じたなら。

それは、過去の話ではなく、
いまも続いている“構造”の話かもしれない。

この先では、

  • なぜ努力が報われなくなるのか
  • なぜ正しさが人を縛るのか
  • なぜ分かっていても抜けられないのか

といった問いを、
感情ではなく「配置」として扱っていく。

答えは出さない。
誰も断罪しない。

ただ、
何が起きていたのかを、
一つずつ見える形にする。

神格反転・構造録 第1章「搾取」(完全版)を読む