構造録第8章第1節 | 神話は勝者の記録である
私たちが信じてきた神話や歴史は、
本当に「起きたこと」を語っているのだろうか。
それとも、勝ち残った者が自らを
正当化するために編んだ物語なのか。
この節では、歴史と神話を事実ではなく
〈記録された解釈〉として捉え直す。
語られた正義の裏で、何が沈められ、
誰の声が消されたのか。
その問いから、すべては始まる。
1. 歴史は常に勝者が語る
私たちが「歴史」と呼んでいるものの多くは、
実際には出来事そのものではなく、
勝利した側が残した解釈の集積である。
戦いに勝った者、権力を握った者、生き残った者が、
自らの正当性を証明するために物語を編み、
それが後世に伝えられていく。
敗れた側の声は、記録されないか、
歪められ、あるいは最初から語られる機会を持たない。
この構造は、古代から現代まで一貫している。
国家の成立、宗教の拡大、文明の正史。
そこに書かれているのは「何が起きたか」ではなく、
「何を正しいことにしたか」である。
つまり歴史とは、事実の羅列ではなく、
正義の選別作業なのだ。
ある時代の教科書に記される「建国の物語」は、
多くの場合、統一や征服を成し遂げた側の視点で描かれる。
そこでは、拡大は進歩として語られ、
抵抗は混乱や反乱として処理される。
だが、同じ出来事を別の立場から見れば、
それは生活圏の破壊や文化の断絶であった可能性もある。
にもかかわらず、後世に残るのは
「国家を成立させた英雄譚」であり、
失われた側の語りは注釈にすらならない。
こうして、勝利した事実そのものが、
正義であったかのように再構成されていく。
2. 語られなかった声の消失
勝者の物語が固定される過程で、
必ず起こることがある。
それは、語られなかった声の消失である。
敗者は沈黙を強いられ、異議は反逆として処理され、
異なる視点は危険思想として排除される。
やがて、それらは「存在しなかったもの」として扱われる。
語られなかった声は、
間違っていたから消えたわけではない。
ただ、力を持たなかっただけだ。
だが時間が経つにつれ、
人々は「語られていない=価値がなかった」と錯覚するようになる。
こうして、歴史は一方向にしか読めないものへと変質していく。
組織や企業の歴史においても、同様の現象は見られる。
改革に失敗し追い出された人物の提案は、
「非現実的だった」「危険だった」として
語られることが多い。
一方で、彼らが指摘していた問題点が、
数年後に別の形で再浮上することも少なくない。
しかし、その時には発案者の名前は消え、
問題は「突然起きた課題」として扱われる。
失敗者の声は記録から消え、
正しさは結果によってのみ判断される構造が、そこにある。
3. 神話と政治の共通構造
神話もまた、この構造から逃れることはできない。
神話とは、単なる空想や寓話ではなく、
支配構造を正当化するための物語装置である場合が多い。
誰が英雄で、誰が悪とされるのか。
どの行為が称賛され、どの存在が忌避されるのか。
その選別は、常に政治的である。
神話が信仰と結びついた瞬間、
それは単なる物語ではなく、行動規範となる。
人々は「正しいと教えられた物語」に沿って考え、
選び、従うようになる。
ここで重要なのは、
神話が人を導くという事実以上に、
誰のために導いているのかという問いである。
多くの寓話や昔話では、討たれる存在は
最初から「悪」として描かれる。
だが、なぜ対立が起きたのか、
なぜその存在がそこにいたのかは語られない。
物語は、勝った側の行動を正当化するために単純化され、
善と悪の役割が固定される。
こうした構造は、神話だけでなく、
現代のメディアや政治的言説にも見られる。
複雑な背景を削ぎ落とし、
「正しい側」と「間違った側」を明確に分けることで、
人々は疑問を抱かずに従うようになる。
4. 正義の物語は誰のためか
正義の物語は、しばしば「みんなのため」に語られる。
しかし、その正義によって利益を得ているのは誰なのか。
その正義の枠組みから排除されているのは誰なのか。
そこを問わない限り、正義はただのスローガンに堕する。
もし神話や歴史が勝者によって作られた記録だとするなら、
私たちが信じてきた「善と悪」「英雄と敵」という区分も、
再検討されるべき対象となる。
悪とされた存在は、本当に人類の敵だったのか。
封じられた存在は、なぜ語られなくなったのか。
この章は、善悪を入れ替えるためのものではない。
だが、善悪が固定されてきた理由を
問い直すための章である。
正義とは何か。
それは誰が決め、
誰に都合よく働いてきたのか。
その問いを持たない限り、
私たちは与えられた物語の中で思考するしかない。
神話は、真実を隠すために存在しているのではない。
だが、真実の一部だけを強調し、
他を沈めることで、世界を単純化してきた。
ここから先は、その沈められた側に
目を向けるための旅である。
この節は、その入口に過ぎない。
5. 構造図
勝利
↓
記録
↓
神話化
↓
正義の固定
この構造図は、「正義」がどのように形成され、
固定されていくかを示している。
起点にあるのは常に勝利である。
戦争、政争、思想闘争、あるいは経済競争において、
最終的に勝ち残った側が、
その出来事の「結果」を手にする。
この時点では、まだそれが
正義であったかどうかは確定していない。
単に、勝ったという事実があるだけである。
次に起こるのが記録である。
勝者は、自らに都合のよい形で出来事を文章化し、
物語として残す。
公式文書、歴史書、神話、教科書、メディア報道など、
記録の形式は多様だが、
共通しているのは「語る主体が勝者である」という点だ。
敗者の視点や異論は、
この段階で省略されるか、歪められる。
記録が時間を経ると、それは単なる事実の羅列ではなく、
意味づけを伴った神話へと変化する。
英雄像が作られ、敵は悪として単純化され、
複雑な背景は削ぎ落とされる。
ここで物語は、人々の価値観や行動規範に
影響を与える力を持つようになる。
最終的に、その神話は
疑われることのない正義として固定される。
なぜ勝ったのかではなく、
「勝ったのだから正しかった」という逆転が起きる。
この構造が繰り返されることで、
正義は結果から作られ、
異なる可能性は想像すらされなくなっていく。
Q. この節を読み終えたあなたへ
ここまで読んだあなたに、
静かに問いを投げかけたい。
あなたが「正しい」と信じてきた物語は、
誰によって語られたものだっただろうか。
その正義は、勝った側の記録であり、
語られなかった声を踏み潰した結果ではなかっただろうか。
歴史や神話、社会の常識を疑うことは、不安を伴う。
なぜなら、それは自分が拠り所としてきた
価値観の土台を揺さぶる行為だからだ。
だが同時に、問いを持たないまま
与えられた正義を受け入れることは、
思考を放棄することでもある。
もし敗者の視点が残されていたなら、
もし悪とされた存在の動機が語られていたなら、
今あなたが信じている「善悪」は、同じ形をしていただろうか。
この節は、答えを与えるために書かれてはいない。
むしろ、「疑問を持つこと」そのものを、あなた自身に委ねている。
正義は固定されたものではなく、常に誰かの視点に依存している。
その事実を知った今、あなたはなお、物語を疑わずに受け取るだろうか。
それとも、自分の目で世界を見直す選択をするだろうか。
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構造録第8章「信仰と封印」全各節(パスワード:belpre666)
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第1節:神話は勝者の記録である
第2節:英雄とは、人類の味方だったのか
第3節:悪とされた者たちの論理
第4節:祈りによる封印
第5節:歪んだ神は、なぜ災厄となるのか
第6節:善悪を超えて、真実を解放する
