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「選んだあなたが悪い」で終わらされる仕組み

何か問題が起きたとき、「それを選んだのはあなたでしょ」、「嫌ならやめればよかったじゃない」などと言われて、言葉を失った経験はないだろうか。

仕事、契約、進路、人間関係。確かに“選んだ”のは自分かもしれない。だが、その瞬間に感じるのは反省よりも、どこか釈然としない感覚だ。

選択肢は本当に対等だったのか。選ばなかった場合の現実は、語られていたのか。不利な条件やリスクは、十分に見えていたのか。

「選んだあなたが悪い」という言葉は、説明になっているようで、多くの前提を一瞬で切り捨ててしまう。この違和感は、個人の判断ミスではなく、もっと別の場所に原因がある。

自己責任と自由選択の論理

一般的には、こう説明される。現代社会は自由な社会であり、人は自分の意思で選択できる。仕事も、契約も、人生も、最終的に決めたのは本人だ。

だから結果が悪くても、それは「自己責任」である。納得できなかったとしても、選んだ以上は受け入れるしかない。この考え方は、一見すると公平で合理的だ。誰かを責めず、個人の自立を尊重しているようにも見える。

努力する人は報われ、失敗した人は学ぶ。選択と結果が結びつくことで、社会は健全に回っている――そう信じられている。

だが、この説明には、なぜか説明しきれない事象が残る。

選ばされた現実は無視される

もし本当に、「選んだ人がすべて悪い」のだとしたら、なぜ同じような失敗が、同じ立場の人に集中するのだろうか。

低賃金の仕事に就いた人、不利な契約を結んだ人、理不尽な環境から抜けられなかった人。そこには、共通した状況がある。

・他に選択肢がほとんどなかった
・選ばなかった場合のリスクが極端に大きかった
・情報が一方的に不足していた
・「これしかない」と思わされていた

それでも結果が悪ければ、最後に返ってくる言葉は同じだ。

「自分で選んだんでしょ?」

この瞬間、不利な条件を作った側、情報を握っていた側、選択肢を狭めていた構造は、すべて視界から消える。責任だけが、最も弱い立場の個人に集約される。ここにあるのは、自由な選択の結果ではなく、責任を押し付けるための仕組みだ。

このズレを説明するには、「個人」ではなく、「構造」という視点が必要になる。

「選んだ」のではなく「選ばされた」構造を見る

ここで視点を変える必要がある。問題は「誰が選んだか」ではなく、どのような条件下で選ばされたかだ。私たちはしばしば、選択が存在した=自由だったと錯覚する。

だが現実には、選択肢の幅、情報の量、拒否した場合の不利益は、最初から平等ではない。

選ばなければ生活が立ち行かない。断れば次がない。知らなければ比較できない。そうした状況下での「選択」は、形式上は自由でも、実質的には誘導に近い。それでも結果が悪ければ、語られるのはいつも「あなたの判断が甘かった」という結論だ。

ここで注目すべきなのは、判断を下した個人ではなく、判断の余地をどこまで奪われていたかという構造そのものだ。

構造は、責任を個人に集め、条件を作った側を不可視化し、同じ失敗を繰り返させるように設計されている。この視点を持たない限り、人は何度でも「選んだあなたが悪い」という言葉で黙らされ続ける。

「自己責任」が完成するまでの流れ

ここで、この仕組みを小さな構造として整理してみよう。


① 不安・必要性が生まれる
生活、将来、立場。人は何かを「選ばなければならない」状況に置かれる。

② 限定された選択肢が提示される
選べるように見えて、実際には代替が乏しい。拒否のコストだけが大きく設定されている。

③ 情報格差が存在する
条件の全体像、リスク、不利な点は十分に開示されない。比較する材料がそもそもない。

④ 個人が「決断」したことにされる
形式上は本人の同意があるため、選択の責任はすべて個人に帰属する。

⑤ 結果が悪ければ自己責任が発動する
構造・設計・前提条件は語られず、「選んだあなたが悪い」で話が終わる。


この流れの中で、構造を作った側は一切責任を問われない。なぜなら、「選択は自由だった」という物語がすでに完成しているからだ。

重要なのは、この構造が例外ではなく、仕事、契約、教育、消費、あらゆる場面で再生産されている
という点だ。この仕組みに気づかない限り、人は何度でも「選ばされた結果」を「自分の失敗」として引き受け続ける。

――だから必要なのは、正しい選択肢ではなく、選択がどう作られているかを見る目なのである。

あなたは本当に「自由に選んで」きただろうか

ここまで読んで、「社会の話だ」「構造の話だ」と距離を取ろうとしているなら、それ自体がこの仕組みの一部かもしれない。少しだけ、自分自身に引き寄せて考えてみてほしい。

・その仕事を選んだとき、
 本当に断れる余地はあっただろうか。

・比較できるだけの情報は、
 事前に十分与えられていただろうか。

・拒否した場合に失うものは、
 あまりにも大きくなかっただろうか。

もし「仕方なかった」「他に選択肢がなかった」という言葉が浮かぶなら、それは自由な選択ではない。それでも結果が悪ければ、責められるのは常に個人だ。構造は語られず、「判断ミス」「自己責任」という言葉だけが残る。

あなたが悪かったのか。それとも、悪くならざるを得ない状況に置かれていただけなのか。この問いを避け続ける限り、同じ構造は何度でもあなたの人生に入り込んでくる。

「選んだあなたが悪い」という物語から降りるために

この章は、「正しい選択をする方法」を教えるものではない。なぜなら、選択の正しさは、ほとんどの場合あとから決まるからだ。

構造録・第1章では、

・なぜ責任だけが個人に集中するのか
・なぜ同じ失敗が量産されるのか
・なぜ納得できないまま終わらされるのか

その仕組みそのものを解体していく。これは、誰かを責めるための文章ではない。自分を責め続ける人生から降りるための視点だ。

もしあなたが、「何かおかしい」という感覚をまだ捨てきれずにいるなら、ここから先は、その違和感を言語に変えるための章になる。

※この先は有料部分で、構造の全体像と、そこから距離を取る視点が語られます。

👉 構造録 第1章「略奪と創造」を読む