相場を知らないだけで損をする構造|なぜ「自己責任」で終わらされるのか
・同じ商品。
・同じサービス。
・同じ内容の仕事。
それなのに、支払った金額や受け取った報酬が人によって大きく違うことがある。あとから相場を知って、「そんなに安く(高く)済んだの?」、「自分だけ損していないか?」と気づいた経験はないだろうか。
詐欺をされたわけでもない。無理やり契約させられたわけでもない。条件も説明も、表向きは“公平”だった。それでも残る、この納得できなさ。
「知らなかった自分が悪い」そう言われれば、それまでかもしれない。だが本当にこれは、個人の注意不足だけで片づけていい問題なのだろうか。
Contents
「情報弱者は自己責任」
この現象について、よく語られる説明はシンプルだ。
・相場を調べなかったのが悪い
・勉強不足だった
・比較しなかった自己責任
・情報を取りに行かなかった落ち度
つまり、「相場を知らない人が損をするのは当たり前」という考え方だ。市場は自由で、価格は合意のもとに決まる。嫌なら断ればよかった。納得して払ったのだから問題はない。
この説明は一見、合理的に聞こえる。努力した人と、しなかった人の差。賢い人と、そうでない人の差。
だから損をしても、「次はちゃんと調べよう」で終わる。だが、この説明だけではどうしても説明できない違和感が残る。
なぜ“損をする側”が固定されるのか
もし本当に、「相場を知らないだけ」が原因なら、人は一度損をすれば学習し、次からは同じ失敗をしないはずだ。だが現実は違う。
・何度も似たような取引で損をする人
・常に安く買われ、安く使われる人
・気づけば“相場より下”が定位置になる人
一方で、相場を自然に知っている側は、ほとんど努力せずに有利な位置に立ち続ける。ここには、単なる知識量以上の差がある。
相場そのものが、全員に平等に見えるようには設計されていない。情報が集まりやすい側と、情報が届きにくい側。交渉できる立場と、交渉を前提とされない立場。「知らなかった」では済まされない損をする人が生まれ続ける構造がすでに出来上がっている。
このズレを説明するには、個人の努力論では足りない。視点そのものを変える必要がある。
問題は「知識量」ではなく「構造」にある
ここで一度、「相場を知らなかった自分が悪い」という個人責任の視点を手放してみてほしい。なぜなら、この問題の本質は知っているか/知らないかではないからだ。
相場とは、本来市場全体の取引実態が集約された結果である。だが実際には、その情報に誰もが同じようにアクセスできるわけではない。
・日常的に価格交渉を行う立場
・業界内部にいる人間
・決定権を持つ側
・売る側として場に立っている側
こうした人々は、特別な努力をしなくても、自然と相場を把握できる位置にいる。一方で、
・個人客
・一時的な利用者
・立場の弱い労働者
・「選ぶ側」ではなく「選ばれる側」
この側にいる人ほど、相場を知らないまま取引の場に立たされる。つまり問題は、相場を学ばなかったことではなく、相場を知らないままでも取引が成立する構造そのものだ。
ここから見えてくるのは、相場とは「情報」ではなく、立場によって見える・見えないが決まる構造物だという事実である。
相場を知らない者が損をする仕組み
ここで、この現象を構造として整理してみよう。相場を知らないだけで損をする構造は以下のようになる。
① 取引の場が用意される
商品・サービス・仕事・契約など、「選べる」「自由」とされる取引の場が存在する。
② 相場情報は内部に蓄積される
過去の取引データ、原価、利益率、業界内の暗黙知は、売る側・管理する側に集まる。
③ 表向きは「価格は自由」とされる
価格は提示され、選択権はあるように見える。強制はなく、違法性もない。
④ 相場を知らない側は比較できない
妥当かどうかを判断する基準がないため、提示された条件を「そういうものだ」と受け取るしかない。
⑤ 合意は成立するが、納得は残らない
契約・支払いは合法に成立する。しかし後から相場を知り、「奪われた感覚」だけが残る。
⑥ 責任は常に個人に戻される
「調べなかったあなたが悪い」、「自己責任」という言葉で構造は不可視化される。
重要なのは、この構造が一部の悪意によってではなく、極めて自然に、繰り返し成立している点だ。相場を知らない人が現れ、相場を知っている側が回収し、その差は「知識」や「努力」の問題として処理される。
だが実際には、損をする側が生まれ続ける前提条件が最初から組み込まれている。相場を知らないだけで損をするのではない。相場を知らないままでも成立する取引構造が、損を生み続けている。
この構造に気づかない限り、人は何度でも「知らなかっただけ」で同じ場所に立たされ続ける。
あなたは、どの立場で取引してきたか
ここまで読んで、「相場を知らなかった自分が悪い」という言葉が、少し違って見えてきたなら、次はあなた自身の経験を思い出してほしい。
・説明を受けたが、妥当か判断できなかった取引
・「今決めないと損」と急かされた契約
・周りがやっているから、という理由で選んだ支払い
・後から相場を知り、妙な違和感が残った出来事
そのとき、あなたは本当に「自由に選んで」いただろうか。それとも、相場を知らない立場に置かれたまま
選ばされたのではないだろうか。
もし立場が逆だったらどうだろう。相場を把握し、価格を提示する側だったら、同じ条件で同じ選択をしただろうか。
ここで問いたいのは、あなたが賢かったかどうかではない。努力したかどうかでもない。あなたは、どの位置で取引に参加していたのか。相場が見える側だったのか。見えない側だったのか。
この問いに向き合うことは、次に同じ場面に立たされたとき、無自覚に損を引き受けないための最初の一歩になる。
「損をする側」に固定されないために
相場を知ること自体が、すべての解決策ではない。なぜなら、相場を知らない人が生まれ続ける構造が、社会のあらゆる場所に組み込まれているからだ。
構造録・第1章では、この「相場」「価格」「仕事」「取引」に共通する価値がどう流れ、どこで回収されるのかを感情論や善悪ではなく、構造として解体している。
・なぜ損をする人が量産されるのか
・なぜ納得できない取引が合法で成立するのか
・なぜ責任はいつも個人に戻されるのか
それらを理解することは、「騙されないため」ではなく、同じ位置に立ち続けないための視点を持つことだ。
もしあなたが、もう一度同じ違和感を味わいたくないなら。「知らなかっただけ」で終わらせたくないなら。この先で、構造の全体像を見てほしい。
👉 構造録 第1章「略奪と創造」を読む(※ここから先は有料部分です)
