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役に立っているはずなのに疲れる仕事の正体|評価されない理由を構造で解説

人の役に立っている実感はある。感謝もされるし、社会的にも「必要な仕事」だと言われる。それなのに、なぜか心と体だけがすり減っていく。

忙しさだけが原因なら、納得できる。だが実際には、仕事が回り、成果も出ているのに、「もう限界かもしれない」と感じる瞬間が増えていく。

休んでも回復しない疲労。やりがいと消耗が同時に存在する違和感。それはあなたが弱いからでも、向いていないからでもない。

多くの人が、「役に立つ仕事ほど疲れる」という矛盾を、言葉にできないまま抱え込んでいる。

役に立っているはずなのに疲れる理由は?

この違和感について、よく語られる説明がある。

・「責任感が強すぎるから」
・「真面目にやりすぎているから」
・「感情労働だから仕方ない」
・「やりがい搾取に陥っている」

確かに、どれも一理ある。人の役に立つ仕事には、感情の消耗や負荷がつきものだ。だから疲れるのは自然だという説明だ。そして最後はこうまとめられる。

・「上手く力を抜こう」
・「自分を守る働き方をしよう」

だが、それで本当に違和感は解消されただろうか。

疲れないようにすると起きる現実的問題

もし問題が「頑張りすぎ」だけなら、力を抜いた瞬間に楽になるはずだ。

だが現実は違う。手を抜くほど、現場はさらに回らなくなり、結局、責任だけが自分に戻ってくる。誰かがやらなければ崩れる。やれば回る。だからまた自分が引き受ける。

この循環の中で疲れているのに、説明はいつも「あなたの姿勢」の問題にされる。役に立っているのは事実なのに、報酬・裁量・評価は増えない。むしろ「できる人」ほど、負担が静かに積み上がっていく。

ここには、個人の性格や努力では説明できないズレが存在している。それは、仕事の中に組み込まれた“構造そのもの”の問題だ。

「頑張り方」ではなく「構造」を見るという視点

ここで、視点を一段階引き上げる必要がある。それは「この人がどう働いているか」ではなく、「この仕事は、どう回るように設計されているか」を見るという視点だ。

私たちは疲れを感じると、無意識に原因を個人に探してしまう。自分の努力不足、性格、能力、工夫のなさ。

だが、それらをいくら改善しても疲労が消えないなら、疑うべきは別の場所にある。仕事には必ず「流れ」がある。誰が価値を生み、誰がそれを受け取り、誰が回収するのか。

役に立っているのに疲れる仕事には、共通した設計がある。それは、価値を生む側に負荷が集まり、回収や評価は別の場所で行われる構造だ。

この構造の中では、真面目で責任感が強い人ほど「穴」を埋める役割に固定される。問題を解決すればするほど、次の問題がその人に集まってくる。

つまり、疲れているのは、あなたの働き方が悪いからではない。疲れるように回る仕事の構造の中にいるからだ。

「役に立つ仕事」が消耗に変わる流れ

ここで、この問題を構造として整理してみよう。まず出発点は、「誰かの役に立ちたい」「現場を回したい」という善意だ。

① 現場に問題や不足が発生する
 ↓
② それに気づいた人が対応する
 ↓
③ 状況が改善し、仕事が回る
 ↓
④ 「あの人がいれば大丈夫」という認識が生まれる

ここまでは健全に見える。だが、次の段階で歪みが生じる。

⑤ 問題の再発が前提になる
 ↓
⑥ 改善が「成果」ではなく「通常運転」に組み込まれる
 ↓
⑦ 対応した人だけが、次も期待される

この時点で、価値は確かに生まれている。現場は救われ、誰かは助かっている。しかし同時に、価値を生んだ行為が「評価」ではなく「前提」に変換される。さらに構造は続く。

⑧ 対応しない人との差が見えなくなる
 ↓
⑨ 負荷だけが特定の人に集中する
 ↓
⑩ 疲弊しても「必要な人」として外せなくなる

ここで決定的なのは、疲れが「個人の問題」として処理される点だ。

・あなたが優しすぎる
・抱え込みすぎ
・自己管理ができていない

そう言われるが、実際には、対応し続ける人がいなければ成立しない設計になっている。この構造の中では、役に立つことと、消耗することが切り離せない。

価値は確かに生まれている。だが、その価値は増やされるのではなく、回収されずに現場で摩耗しているだけなのだ。

だから、役に立っているはずなのに疲れる。それは矛盾ではない。この構造の中では、むしろ「正常な結果」なのである。

あなたの仕事は「感謝される側」か、「回る前提」か

ここまで読んで、「たしかに自分は役に立っているはずなのに、なぜか疲れている。」そう感じたなら、少しだけ立ち止まって考えてみてほしい。

あなたの仕事は、終わったあとに「ありがとう」と言われるだろうか。それとも、何事もなかったかのように次の問題が流れてくるだろうか。

・あなたが休むと、現場は止まるか
・あなたが頑張っても、評価は増えないままか
・「助かっている」と言われつつ、条件は変わらないか

もし、役に立つほど負荷が増え、疲れても「仕方ない」で片づけられ、いなくなる選択肢が許されないなら、それは「やりがい」の問題ではない。あなたの働きが、構造の穴を埋める部品として使われている可能性がある。

この問いは、転職すべきかどうかを決めるためのものではない。もっと手前の「自分はいま、どんな構造の中に立っているのか」を見極めるための問いだ。

役に立っているのに疲れるのは、あなたが間違っているからではない。ただ、その仕事がそういう人を消耗させる設計になっているだけかもしれない。

この違和感を「個人の悩み」で終わらせないために

ここまでの話は、努力論でも、働き方改革でもない。「頑張り続ける人が消耗する構造」をそのまま言葉にしただけだ。構造録・第1章では、

・なぜ現場に負荷が集中するのか
・なぜ役に立つ人ほど評価されにくいのか
・なぜ疲れが個人の問題にすり替えられるのか

それらを、感情や善悪ではなく、価値の流れと設計の問題として整理している。

もしあなたが、「自分の問題だと思わされてきた違和感」に一度きちんと名前をつけたいなら、ここから先は、そのための視点が置いてある。救いは約束しない。

だが、誤解したまま消耗し続けることだけは、終わらせられる。この続きは、構造録の中にある。

👉 構造録 第1章「略奪と創造」を読む