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作っているのに、なぜ世界は良くならないのか|努力が報われない構造を解説

作っているのに、なぜ手応えが残らないのか?

ものは増えている。サービスも、便利な仕組みも、かつてないほど作られている。それなのに、なぜか世界は良くなっている実感がない。忙しさは増え、余裕は減り、疲れている人ばかりが目につく。

誰かの役に立つために作っているはずなのに、「意味があったのか?」という疑問だけが残る。

改善のため、成長のため、社会のため。その言葉に従って手を動かしてきた人ほど、この違和感を強く抱いているかもしれない。

作ること自体は、間違っていない。それなのに、結果として世界が良くなっている感触がない。このズレは、努力や才能の問題ではない。もっと別の場所に原因がある。

「まだ足りない」「もっと良いものを作ればいい」という説明

この違和感に対して、よく語られる説明がある。それは、「まだ十分ではない」という考え方だ。

・質が足りない
・量が足りない
・イノベーションが足りない
・努力が足りない

だから、もっと作ろう。もっと便利にしよう。もっと効率を上げよう。そうすれば、いつか世界は良くなる。

この説明は、一見すると筋が通っている。実際、技術も商品もサービスも、過去よりは確実に進歩してきた。だから「作り続けること」自体が正義になりやすい。

だが、この説明には前提がある。「作られたものが、ちゃんと価値として残っている」
という前提だ。もし、それが崩れていたとしたらどうなるのか。

作れば作るほど、消耗していくという現実

現実を見てみると、奇妙なことが起きている。作る量は増えているのに、現場は疲弊している。改善の名のもとに仕組みは増え、それを支える人間の負担だけが重くなっている。

便利なはずのツールが仕事を増やし、効率化のはずの仕組みが責任を押し付ける。「良くするため」に作られたものが、なぜか人を追い詰めていく。

もし本当に、「作る=世界が良くなる」という関係が成り立っているなら、これほど多くの疲労や違和感は生まれないはずだ。

ここで見えてくるのは、「作っているかどうか」ではなく、作られたものが、どんな流れを生んでいるかという問題だ。

世界が良くならないのは、作る行為が間違っているからではない。作られた価値が、別の形で回収・消費・浪費されている可能性がある。

このズレは、個人の善意や努力では説明できない。構造の問題だ。

問題は「作っているか」ではなく、「どう流れているか」

ここで、一度視点を変える必要がある。「何を作っているか」ではなく、作られたものが、どこへ流れているかを見る視点だ。

多くの議論は、

・もっと良いものを作ろう
・もっと役立つものを増やそう

という“生産側”に向いている。だが、現実を左右しているのは、生産の量や善意ではない。重要なのは、作られた価値が誰に届き、どこで止まり、誰の負担に変換されているかという「流れの構造」だ。

たとえば、現場で価値が生まれても、それが評価や報酬として戻らず、途中で吸い上げられていれば、現場は疲弊する一方になる。

このとき、作っている人は何も間違っていない。真面目で、誠実で、役に立とうとしている。それでも世界は良くならない。

それは、「作る」という行為がすでに別の構造の中に組み込まれているからだ。構造とは、個人の意思とは無関係に、結果だけを固定してしまう仕組みのこと。善意も努力も、その中では方向を変えられてしまう。

世界が良くならない理由は、人が足りないからではない。作り方が間違っているからでもない。流れを決めている構造そのものにある。

「作るほど良くなる」は、なぜ成立しなくなったのか

ここで、構造を一度シンプルに分解してみよう。まず、多くの人が信じている前提はこうだ。

作る

価値が生まれる

社会が良くなる

だが、現実の流れは、少し違っている。現実の構造は以下の通り。


作る(労働・知識・ケア・創造)

価値が発生する

価値が「測定・管理」される

配分権を持つ場所に集まる

現場には「負担」だけが戻る


この構造では、作る人が増えれば増えるほど、管理・配分する側が有利になる。なぜなら、価値そのものよりも、「どう評価するか」「どう分けるか」を握っている側に力が集まるからだ。

現場で生まれた価値は、数字にしづらい、説明しづらい、比較しづらいという特徴を持つことが多い。一方、管理や評価は、数値化しやすい、報告しやすい、正当化しやすい。

結果として、価値を生む側よりも、価値を整理・配分する側が「成果を出している」と見なされる。ここで起きているのは、創造の不足ではない。回収構造の肥大化だ。

作られた価値が、社会を良くする前に、別の場所で“回収”されてしまう。しかも、それは合法で、合理的で、正しい改善の顔をしている。

だからこそ、誰も悪者にならない。誰も間違っていないように見える。それでも、世界は少しずつ、良くならなくなっていく。

作っているのに良くならない。その正体は、「作ること」と「良くなること」の間に別の構造が挟まっているという事実だ。この構造を知らないままでは、どれだけ誠実に作り続けても、違和感は消えない。

あなたは「作っている側」か、「回収される側」か

ここまで読んで、「社会の話だな」と感じたなら、それはまだ半分しか見えていない。

この構造は、遠くの世界で起きている話ではない。あなた自身の仕事や選択の中に、すでに組み込まれている。たとえば、

・誰かの役に立っている実感はあるのに、報われない
・忙しくなればなるほど、余裕がなくなる
・改善や努力を重ねても、評価は変わらない

それは本当に、あなたの能力や努力の問題だろうか。もしかすると、あなたは「価値を作る位置」にいながら、その価値がどこへ流れているかを一度も見たことがないだけかもしれない。

自分の仕事で生まれたものは、最終的に誰の利益になっているのか。誰が判断し、誰が決め、誰が回収しているのか。

もし、作ることと報われることの間に説明できないズレを感じているなら、それはあなたの感覚が鈍いからではない。構造が、そう感じさせている。

「作っても報われない世界」を理解するために

この違和感は、考えれば消えるものではない。努力すれば解決する問題でもない。なぜなら、それは個人の内側ではなく、外側にある「構造」の問題だからだ。

構造録・第1章では、

・なぜ真面目な人ほど消耗するのか
・なぜ役に立つ仕事が軽く扱われるのか
・価値はどこで、どう回収されているのか

こうした問いを、感情論ではなく、仕組みとして一つずつ解体していく。これは、希望を与えるための文章ではない。

だが、「何が起きているのか分からないまま耐える」状態から抜け出すための視点は得られる。作っているのに報われない理由を、自分のせいにする前に。一度、構造そのものを見に来てほしい。

──この先は、有料部分で続く。

👉 構造録 第1章「略奪と創造」を読む