良いことをしているはずなのに違和感が残る理由|嘘と真実の構造
人の役に立っている。正しいことをしている。誰かを助けているし、社会的にも「良い行い」とされている。
それなのに、なぜか胸の奥に小さな違和感が残る。感謝されているはずなのに、すっきりしない。「間違ってはいない」と頭では分かっているのに、どこか落ち着かない。
そんな感覚を覚えたことはないだろうか。その違和感は、罪悪感でも、傲慢さでもない。ましてや「考えすぎ」でもない。
むしろそれは、見過ごされがちな異変に気づいているサインかもしれない。この文章は、その正体を「心の問題」ではなく、別の角度から見直すためのものだ。
Contents
「気にしすぎ」、「理想が高いだけ」という説明
こうした違和感に対して、よく使われる説明がある。
・いいことをしているのだから、深く考える必要はない
・完璧を求めすぎているだけ
・もっと感謝されるべきだと思っているからモヤモヤする
・善意に疑問を持つのは、ひねくれている証拠
要するに、「あなたの受け取り方の問題だ」という説明だ。だから違和感は、気にしないほうがいい。前向きに捉え、善意を信じ、行動を続けるべきだと。
この説明は、一見すると理にかなっている。実際、多くの人はそう言われて納得し、思考を止める。だが、この説明ではどうしても説明できないものが残る。
なぜ違和感は消えないのか
もし本当に「気にしすぎ」なだけなら、時間が経てば違和感は薄れるはずだ。しかし現実には、そうならないことが多い。むしろ、同じ行為を繰り返すほど、周囲から評価されるほど、「良いことだ」と言われるほど、違和感が強くなるケースすらある。
さらに厄介なのは、その感覚を言語化しづらい点だ。理由を説明しようとすると、途端に自分が悪者になる。「贅沢だ」「文句を言うな」と返される未来が見えてしまう。
つまりここには、善意そのものではなく、善意が成立する“条件”への違和感がある。しかしそれは、個人の内面だけを見ていても決して掴めない。
ここで必要になるのが、「その行為が置かれている構造」、「正しさが流通する仕組み」という視点だ。
それはあなたの感覚ではなく、構造の歪みだ
ここで一度、視点を切り替えてみよう。「良いことをしているのに、おかしいと感じる」のは、あなたの感受性が過剰だからでも、性格がひねくれているからでもない。
問題は、行為そのものではなく、それが組み込まれている構造にある。私たちは普段、善意、正しさ、社会貢献といった言葉を、ほぼ無条件に「良いもの」として扱っている。
しかし、現実には、それらは仕組みの中で使われ、流通し、時に消費される。
善意が評価される条件、正しさが称賛される文脈、「良いこと」が成立する前提。そこに歪みが生じたとき、行動している本人だけが、説明できない違和感を抱く。
つまりその感覚は、嘘を見抜いたわけでも、真実に到達したわけでもないが、「何かがおかしい場所に立っている」ことを示す反応なのだ。それを理解するために、次は一段深く、構造そのものを分解してみよう。
善意が「正しさ」として消費されるまで
ここでは、「良いこと」が違和感に変わるまでの流れを、構造として整理する。善意が歪むプロセスは以下の通りだ。
① 個人の善意
誰かの役に立ちたい。良いと思うことをしたい。ここには、疑いようのない動機がある。
② 社会的な正当化
その行為は「良いこと」「正しい行い」とラベル付けされる。賞賛、感謝、道徳的評価が与えられる。
③ 仕組みへの組み込み
善意は、組織の成果、ブランドイメージ、正しさの証明として利用され始める。この時点で、行為は個人のものではなくなる。
④ 違和感の発生
本人は「良いこと」をしているはずなのに、どこかで消耗し、納得できない感覚を覚える。理由は説明できない。
⑤ 思考の封じ込め
違和感を口に出すと、「良いことをしているのに何が不満なのか」、「文句を言うな」という反応が返ってくる。結果、違和感は個人の内側に押し戻される。
重要なのは、ここに悪意のある誰かが必ずしも存在しないことだ。嘘は、意図的に作られるとは限らない。多くの場合、「正しさ」がそのまま構造になり、疑われなくなる。
だからこそ、「良いことをしているはずなのに、おかしい」という感覚は消えない。
それは、真実と嘘の境界に立ったときにだけ生じる極めて健全な反応なのだ。
その違和感は、どこから来たのか
ここまで読んで、もし少しでも胸の奥がざわついたなら、それは偶然ではない。あなた自身の経験を、思い出してみてほしい。
・誰かのためを思って行動したのに、なぜか消耗だけが残った
・正しいことをしているはずなのに、感謝より沈黙が返ってきた
・「良いことだよね」と言われるほど、言葉にできない違和感が強まった
そのとき、あなたはどうしただろうか。「自分の考えすぎだ」と打ち消したかもしれない。「不満を持つ自分が間違っている」と結論づけたかもしれない。
だが、もしその違和感があなたの未熟さではなく、構造の歪みへの反応だったとしたらどうだろう。
あなたが感じた「おかしさ」は、嘘を見抜いた証拠でも、真実に辿り着いた証拠でもない。ただ、疑うことを許されていない場所に立った感覚だったのかもしれない。
「違和感」を、思考として回収するために
構造録・第2章「嘘と真実」は、「何が嘘か」「何が正しいか」を断定するためのものではない。むしろ、
・なぜ嘘は疑われなくなるのか
・なぜ正しさは思考停止を生むのか
・なぜ違和感だけが個人に押し付けられるのか
その仕組みそのものを解体するための章だ。もしあなたが、「良いことをしているはずなのに、何かがおかしい」という感覚を一度でも抱いたことがあるなら、それはもう、この章の読者だ。
違和感を、感情のまま放置しないために。嘘と真実の境界線を、自分の言葉で理解するために。構造録・第2章「嘘と真実」は、そのための“地図”として用意されている。
