正しいことを言っている人ほど話が通じなくなる理由|構造で読む嘘と真実
こちらは事実を言っている。数字も根拠もある。論理的にも、道徳的にも、間違ったことは言っていないはずだ。
それなのに、話せば話すほど相手は黙り、距離を取り、最後には「分かり合えない人」という扱いになる。あるいは、「空気が読めない」「融通が利かない」「めんどくさい」とラベルを貼られて終わる。
こうした経験は、仕事でも家庭でも、SNSでも珍しくない。むしろ、「正しいことを言おう」とする人ほど、この壁にぶつかりやすい。
多くの人は、ここで自分を責める。言い方が悪かったのか。もっと柔らかく言うべきだったのか。あるいは、「正論を振りかざすのはよくない」と、自分の口を閉じる。
だが本当に問題なのは、個人の性格や話し方なのだろうか。この「正しいのに通じない」という現象そのものに、何か共通の仕組みがあるのではないか。
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伝え方が悪いだけ?
この現象について、一般的にはこう説明されることが多い。
・正論でも、言い方がきついと反発される
・相手の気持ちを考えないと、人は聞く耳を持たない
・正しさより共感が大事
・論破しようとするから嫌われる
つまり、「内容ではなく伝え方の問題」だという説明だ。確かに、乱暴な言い方や相手を見下す態度は、対話を壊す。共感や配慮が必要なのは事実だろう。
この説明は、一見とてももっともらしい。だからこそ、「正しいことを言って通じなかった人」は、自分のコミュニケーション能力を反省し、改善しようとする。
しかし、ここには一つの違和感が残る。どれだけ丁寧に言っても、どれだけ相手を傷つけない言葉を選んでも、やはり通じない場面が、確かに存在するからだ。
なぜ黙らされるのか
問題は、単に「嫌われる」ことではない。もっと奇妙なのは、正しいことを言った人ほど、場から排除されていくという点だ。
その人の意見が間違っているからではない。むしろ多くの場合、周囲も内心では「言っていることは分かる」「正しいかもしれない」と感じている。それなのに、話は止まる。議論は終わる。空気は凍り、話題は変えられる。
もし伝え方の問題だけなら、内容を柔らかくすれば状況は改善するはずだ。だが実際には、「何をどう言っても通じない」瞬間がある。ここには、説得の失敗、共感不足、コミュ力の差では説明できないズレがある。
このズレの正体は、「正しさ」がその場の秩序を壊してしまう構造にある。つまり、通じないのはあなたの話し方ではなく、「正しさが歓迎されない場所」で正しいことを言ってしまったからという可能性がある。
ここから先は、個人の問題ではなく、社会や集団が持つ構造の話になる。
「通じない」のは、正しさが構造を壊すから
ここで視点を変える必要がある。「正しいことを言っているのに通じない」という現象を個人の能力や性格の問題として見るのをやめる、という転換だ。多くの集団や社会には、正しさよりも優先されるものが存在している。
それは、空気、秩序、安心感、既存の前提、役割分担といった、「その場が壊れないための条件」だ。
正しさは、本来それらを改善するためのもののはずだ。だが現実には、正しさがそれらを揺さぶる瞬間がある。例えば、
・暗黙のルールを言語化してしまう
・皆が黙って耐えてきた不合理を指摘する
・「当たり前」とされてきた前提を疑う
こうした正しさは、「間違いを正す」のではなく、その場の前提そのものを崩す力を持つ。その結果、何が起きるか。
議論が起きる前に、遮断が起きる。これは反論ではない。論破でもない。「分かり合えない」というラベル貼りによる、静かな排除だ。
つまり、通じないのは論理が弱いからではない。正しさが、その場の構造にとって危険だからなのだ。
正しさが拒絶される仕組み
ここで、この現象を構造として整理してみよう。
【構造①】集団は「真実」より「安定」を優先する
人が集まると、必ず暗黙の前提が生まれる。
- ・触れてはいけない話題
- ・問題はあるが、言わないことになっていること
- ・誰が何を言う役割かという序列
これらは明文化されないが、集団の安定を保つために機能している。この状態では、真実=安定を壊す可能性を持つ。 - だから、真実そのものではなく、「真実を持ち込む行為」が危険視される。
【構造②】正しい指摘は「責任の再配分」を生む
正しいことが通ると、何が起きるか。
・誰かが我慢していたことが明らかになる
・誰かが見て見ぬふりをしていた責任が浮上する
・「仕方なかった」という免罪が崩れる
つまり、正しさは責任の所在を動かしてしまう。これは多くの人にとって不都合だ。だから反論ではなく、「聞かなかったこと」にされる。
【構造③】正しさは、共犯関係を壊す
集団の秩序は、必ずしも善意だけで成り立っていない。
・分かっているけど黙る
・おかしいけど従う
・空気を読んで見逃す
こうした小さな妥協の積み重ねが、集団の「共犯関係」を作る。正しい指摘は、この共犯関係を壊す。だから嫌われるのではなく、危険視される。
【構造④】「話が通じない人」というラベルの機能
最終的に起きるのが、この処理だ。
・あの人は極端
・理屈っぽい
・正論ばかり
・話が通じない
このラベルは、人格評価ではない。正しさを無効化するための装置だ。内容を検討せずに済む。構造を変えずに済む。集団は守られる。
このミニ構造録から分かるのは一つだけだ。正しいことを言って話が通じなくなるのは、あなたが間違っているからではない。正しさが、その場の構造を脅かしているからだ。
あなたの「通じなかった経験」はどこで起きていたか
ここまで読んで、思い当たる場面はないだろうか。
・正論を言ったはずなのに、場の空気が一気に冷えた
・丁寧に説明したのに、「面倒な人」扱いされた
・問題を指摘しただけなのに、なぜか自分が悪者になった
もしそうなら、一度問い直してほしい。その場は、本当に「正しさを受け取る準備」があっただろうか。あるいは、正しさよりも守られていた前提があったのではないか。
さらに言えば、あなた自身も、誰かの正しさを「話が通じない」という言葉で処理した経験はないだろうか。
・空気を乱す人だと思った
・正論だけど現実的じゃないと感じた
・今それを言うべきじゃないと思った
それは本当に内容の問題だったのか。それとも、その正しさが自分の立場や安心を揺らしたからではなかったか。正しさが通じない現象は、「言う側」と「聞く側」のどちらにも起きている。
この構造に気づいたとき、あなたはもう「話が通じない理由」を性格や能力のせいに戻れなくなるはずだ。
正しさが拒まれる社会を、感情ではなく構造で読むために
ここで扱ったのは、「正しいことを言っているのに通じない」という多くの人が違和感を抱えたまま言語化できなかった現象だ。
構造録は、こうした嘘でもない、間違いでもない、でも納得できない現象を、感情論ではなく構造として記録する試みだ。誰が悪いのかではなく、なぜそうなるのか。どこで止まっているのか。何が守られているのか。
第2章「嘘と真実」では、「正しさ」「善意」「常識」が、どのようにして思考を止め、疑いを封じ、通じなさを生むのかを、さらに掘り下げていく。
もしあなたが、「自分がおかしいのかもしれない」と感じてきたなら、それは個人の問題ではなく、構造の問題かもしれない。答えを与えるためではなく、考え続けるための地図として、構造録を読んでほしい。
