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優しい人ほど、現実から削られていく構造|善意が消耗に変わる理由

優しい人ほど、なぜか損をしている。空気を読み、誰かを傷つけないように言葉を選び、衝突を避けてきた人ほど、気づけば疲れ切っている。そんな光景を、あなたも見たことがあるかもしれない。

・「いい人ほど大変だよね」
・「真面目な人が損をする社会だ」

そう言われるたびに、どこか納得しきれない感覚が残る。本当にそれは“運が悪い”だけなのだろうか。本当に“社会が冷たい”からなのだろうか。

優しさは美徳のはずなのに、なぜか現実では削られていく。この違和感は、個人の性格や努力の問題では説明しきれない。そこには、もっと別の力学が働いている。

優しい人は我慢しすぎるという現実

この問題について、よく語られる説明がある。

・優しい人は自己主張が苦手だから。
・断れない性格だから。
・他人を優先しすぎて、自分を後回しにしてしまうから。

つまり、「優しさ=個人の弱さ」という見方だ。だから解決策としては、

・もっと強くなろう
・自己主張を覚えよう
・我慢しすぎないようにしよう

といったアドバイスが並ぶ。一見すると、筋は通っている。確かに、優しい人ほど「NO」と言えず、無理を引き受けてしまう傾向はある。

だが、この説明だけでは説明できない現象が残る。なぜ“優しい人ばかり”が、繰り返し同じ役割を押し付けられるのか。なぜ“一度だけ”ではなく、“構造的に”削られ続けるのか。

なぜ同じ人だけが削られる運命にあるのか?

もし問題が「自己主張の弱さ」だけなら、一度痛い目を見れば、学習して変われるはずだ。だが現実では、こうした声が絶えない。

・「もう限界だと思ったのに、また同じ役割を振られた」
・「次は断ろうと思っていたのに、なぜか断れない状況になった」
・「気づいたら、また自分だけがフォローしていた」

これは性格の問題ではない。場の中で、特定の人が“削られる位置”に固定されている。

優しい人は、争わない。反発しない。問題を表に出さない。すると周囲は、こう無意識に判断する。

・この人なら受け入れる
・この人なら我慢する
・この人に頼めば場が荒れない

こうして、負荷は集まり続ける。本人は「自分が選んでいる」と感じている。だが実際には、選択肢そのものが歪められている。

ここにあるのは、意志の弱さではない。優しさが“都合のいい装置”として組み込まれていく構造だ。

「性格」ではなく「構造」で見ると?

ここまでの話を「優しい人の性格的な問題」として読んでしまうと、結論はこうなってしまう。

――もっと強くなれ。
――優しさを抑えろ。
――自己主張しろ。

だが、それでは同じことが何度も繰り返されてきた理由を説明できない。重要なのは、優しさがどう評価され、どう配置されるかだ。つまり、問題は個人ではなく、「場の構造」にある。

場には必ず役割が生まれる。

・決める人
・押す人
・まとめる人
・譲る人

優しい人は、争わないという理由だけで、「譲る役」「調整役」「後始末役」に配置されやすい。一度そう配置されると、本人が何も言わなくても、その役割は“前提”として扱われる。

ここで起きているのは、善意の搾取ではない。善意が“安定装置”として利用されている構造だ。場を荒らさない人がいる限り、問題は表に出ず、強い人は変わらず、優しい人だけが消耗していく。

これは「悪意ある加害者」がいなくても成立する。だからこそ、気づきにくく、長く続く。優しい人が削られるのは、性格が弱いからではない。構造の中で、そういう位置に固定されているからだ。

優しさが削られていく構造

ここで、優しい人が削られていく流れをシンプルな構造として整理してみよう。


① 問題や負荷が発生する(衝突・面倒な作業・責任の所在が曖昧な状況)

② 誰かが引き受ける必要が出る(決断・調整・フォロー・後始末)

③ 強い人・声の大きい人は避ける(反発・正当化・沈黙・他者への転嫁)

④ 優しい人が引き受ける(場を荒らしたくない/誰かがやらないと、という感覚)

⑤ 場は一時的に安定する(問題が表に出ない/衝突が回避される)

⑥ 「あの人がやる」という前提が生まれる(暗黙の役割固定)

⑦ 次の負荷も同じ人に集まる(断らない=できる人、という誤認)

⑧ 優しい人だけが消耗する(疲弊・不満・自己否定)


ここで注目すべき点がある。この構造では、誰も「優しい人を削ろう」とはしていない。

・頼んだ側は「助かった」と思っている
・周囲は「うまく回っている」と感じている
・優しい本人すら「自分が選んだ」と思っている

だが実際には、選択肢は最初から歪められている。断れば場が荒れる。拒めば「冷たい人」になる。何もしなければ、問題が拡大する。この状況で引き受けるのは、自由な選択ではなく、構造的誘導だ。

そして厄介なのは、優しさが“善”として評価される点にある。「ありがとう」、「助かる」、「優しいね。」これらの言葉は、優しさを肯定しているようで、実は構造を固定してしまう。

結果として、変わらない人、責任を取らない人、声の大きい人は何も失わず、優しい人だけが削られ続ける。

この構造を理解しない限り、「もっと優しくあろう」としても、「もっと強くなろう」としても、消耗は止まらない。必要なのは、善悪の議論でも、性格の改善でもない。自分がどの構造に組み込まれているかを知ることだ。

「優しくしてきた自分」は、何を失ってきたのか

ここで一度、立ち止まって考えてみてほしい。これまでの人生で、「自分が我慢すれば丸く収まる」、「相手の事情を考えたほうが大人だ」などと、一歩引いた場面は、何度あっただろう。

その結果、相手は変わっただろうか。関係は対等になっただろうか。

多くの場合、答えはNOだ。優しさは感謝されることもある。だが構造上、優しさは「削っても反撃しない人」として認識されやすい

一度そう認識されると、要求は増え、負担は偏り、境界線は無視されていく。それでも「悪意はないから」「この人も大変だから」と理由をつけて耐え続ける。

だが現実は冷酷で、配慮する側だけが消耗し、何も守られない

もし今、なぜか自分だけが疲れている、ちゃんとしているのに報われない、気づくと限界まで削られているという感覚があるなら、それは性格の問題じゃない。

問いは一つだ。その優しさは、誰を守り、誰を強化していたのか。

優しさを手放せという話ではない

構造録 第3章「善悪と中庸」は、「優しくするな」「冷たくなれ」と言っているわけじゃない。問題にしているのは、優しさがどんな配置で機能しているかを、知らないまま使っていることだ。

優しさは、対等な関係では潤滑油になる。だが力の差がある場所では、それは一方的に搾取される資源になる。

この章では、

・なぜ優しい人ほど削られるのか
・共存や配慮が、なぜ現実を守らないのか
・「いい人」でいるほど逃げ場がなくなる理由

を、善悪論ではなく構造として解きほぐしている。

もし、「これ以上、優しさを使い捨てにされたくない」、「誰かの人生を支えるために、自分の人生を失いたくない」と感じているなら、必要なのは覚悟じゃない。

自分が立たされている構造を、正確に見ることだ。構造録 第3章「善悪と中庸」は、そのための視点を用意している。

👉 構造録 第3章「善悪と中庸」を読む