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人間関係

欲望を抑えたら自分が分からなくなった理由|祈りと行動の構造

欲望を抑えれば、人は立派になる。わがままを捨てれば、周囲とうまくやれる。

そう信じて生きてきたのに、ある時ふと、自分が何をしたいのか分からなくなった。楽しいことも、嫌なことも、強くは感じない。ただ波風を立てず、正しく振る舞っているだけ。それなのに、なぜか虚しい。なぜか疲れる。

欲望を抑えたはずなのに、心は軽くならない。むしろ、自分という輪郭が薄れていく感覚だけが残る。「自分らしさ」と言われても、何を指せばいいのか分からない。

これは甘えでも、意志の弱さでもない。ここには、欲望を“悪”として処理してきた社会的な構造がある。

欲望は危険で、抑えるべきもの

一般的には、欲望はトラブルの元だと説明される。欲望に従えば、身勝手になる。争いが起きる。だから理性で抑えろと。

教育でも宗教でも、自己犠牲や我慢は美徳として教えられる。欲望を持たない人ほど大人で、清く、正しい存在だと評価される。

この説明は一見、筋が通っている。確かに、衝動のまま動けば問題は起きる。だから欲望は抑圧され、「無いもの」として扱われる。

その結果、人は安定し、秩序は保たれる。そう語られてきた。だが、この説明は「欲望を失った後に何が起きるか」を語らない。

欲望を失った人が壊れていく理由

欲望を抑えた人が、必ず幸せになるわけではない。むしろ、無気力になり、自信を失い、判断できなくなっていくケースは多い。

やりたいことがないから頑張れない。嫌なことも強く嫌だと言えない。自分で決める力が、少しずつ削れていく。

ここでズレが生まれる。秩序を守るために欲望を抑えたはずなのに、その人自身は生きる力を失っていく。

もし欲望が単なる危険物なら、失っても問題は起きないはずだ。だが現実では、欲望を抑えた人ほど、他人の期待や正しさに従うだけの存在になっていく。

この現象は、「欲望=悪」という説明では説明できない。問題は欲望そのものではなく、欲望をどう扱う構造にある。

問題は欲望ではなく、「欲望を処理する構造」にある

ここで視点を変える必要がある。問題は、欲望を持ったことではない。問題は、欲望を「危険」「未熟」「罪」として扱う構造そのものだ。

欲望は本来、行動の起点だ。何かが嫌だ、何かを変えたい、こうありたい。その感覚があるから、人は考え、動き、選ぶ。だが欲望否定の構造では、この起点そのものが潰される。

代わりに与えられるのは、「正しさ」「我慢」「祈り」だ。自分で判断しなくてもいい。耐えていれば評価される。報われるかどうかは、神や運命に委ねればいい。

この構造の中で、人は欲望を捨てる。だが同時に、自分で人生を動かす力も失っていく。「自分が何者か分からない」という感覚は、性格の問題ではない。

それは、欲望を奪われた人間が必ず辿る、構造的な帰結だ。

欲望否定が人間を空洞化させる流れ

ここで、構造を一度整理する。まず、人は欲望を持つ。これは生存や成長に直結する自然な衝動だ。だが教育・宗教・道徳の中で、こう教えられる。

・「欲望は抑えろ」
・「自分より他人を優先しろ」
・「我慢する人が立派だ」

すると次の段階が起きる。


欲望を感じる

罪悪感・恥・自己否定が生まれる

欲望を自覚しないようにする

「何がしたいか分からない」状態になる


ここで重要なのは、欲望が消えたわけではないという点だ。抑圧された欲望は、無気力・不安・他人依存として姿を変える。

自分で決められない。正解を外に求める。評価されないと存在価値を感じられない。さらに構造は続く。


判断力の低下

行動しないことが常態化

祈り・我慢・精神論に依存

現実は変わらない

「自分には何もない」という感覚が強化される


この状態で、人は「自分探し」を始める。だが探しても見つからない。なぜなら、欲望を削られた人間の中に、最初から“答え”は残っていないからだ。

つまり、「自分が何者か分からない」という問題は、内面の欠陥ではない。欲望を否定し、行動を奪い、判断を放棄させる構造が作り出した結果だ。

欲望を取り戻すとは、わがままになることではない。再び「自分で考え、動く側」に戻るということだ。

あなたは、いつから「欲しい」を言わなくなったか

ここで一度、自分の感覚に問いを向けてみてほしい。「これがしたい」「これは嫌だ」と感じたとき、すぐに「そんなこと考えちゃいけない」と打ち消していないか。

誰かに迷惑をかけないか、空気を悪くしないか、“正しくない欲望”じゃないかを先に考えていないか。

気づけば、何かを選ぶ前に疲れている。決断するくらいなら、何も選ばないほうが楽だと思っている。その結果、「自分が何者か分からない」という感覚だけが残る。

それは怠けでも甘えでもない。欲望を感じた瞬間に、否定され続けてきた人間の、自然な反応だ。

問いはシンプルだ。今の自分は、欲望を持って生きているのか。それとも、欲望を消すことで、安心しようとしているだけなのか。

「自分を取り戻す」とは、欲望から逃げないこと

構造録 第4章「祈りと行動」は、「なぜ信じ、我慢し、祈るほど現実が動かなくなるのか」を精神論ではなく、構造として解体している。

・欲望を捨てた人が救われない理由
・我慢が称賛されるほど、人生が止まる仕組み
・優しさや信仰が、なぜ行動を奪うのか

答えはひとつだ。現実を変えるのは、正しさでも祈りでもない。自分の欲望を起点に、判断し、動くことだけだ。

もし今、「自分が分からない」と感じているなら、それは壊れている証拠じゃない。構造に閉じ込められてきた証拠だ。

構造録は、その檻の形を言語化するための記録だ。欲望を否定しない場所から、もう一度始めたいなら、続きは本編で読んでほしい。

👉 構造録 第4章「祈りと行動」を読む