1. HOME
  2. 多様性・移民
  3. 支配層はなぜ血を混ぜないのか|権力が同族性を守り続ける構造
多様性・移民

支配層はなぜ血を混ぜないのか|権力が同族性を守り続ける構造

私たちは普段、「血を混ぜない」「血統を守る」という言葉に、どこか嫌悪感を抱く。差別的で、時代遅れで、非人道的な発想だと教えられてきたからだ。

一方で、不思議な事実がある。歴史を振り返ると、権力の中枢にいる人間ほど、徹底して血を混ぜてこなかった。王族、貴族、名家、支配階級。彼らは表向きには理想や道徳を語りながら、私生活では「選ばれた血」を守り続けてきた。

もし血統主義がただの迷信や差別なら、なぜそれが最も合理的で情報も資源も持つ層に集中しているのか。

この違和感は、「善悪」や「倫理」の話では説明がつかない。ここには、感情ではなく構造の問題がある。

古い価値観が残っていただけという言説

この現象について、一般にはこう説明されることが多い。支配層が血を混ぜなかったのは、封建的で差別的な思想に縛られていたから。身分制度を維持するための、ただの権力の乱用だったのだと。

確かに、表層だけ見ればその説明は正しい。血統を理由に人を選別する行為は、現代の価値観から見れば不公平で、暴力的ですらある。

だから私たちは、「そんなものはもう時代遅れだ」「多様性こそが進化だ」と結論づける。

しかし、この説明には大きな前提がある。支配層は愚かで、非合理な選択を長期間続けてきたという前提だ。

だが本当にそうだろうか。数百年、時には千年単位で権力を維持してきた集団が、非効率な慣習だけで生き残れるだろうか。

合理性が残り続けた理由

もし血統主義が単なる迷信なら、真っ先に捨てられているはずだ。特に支配層は、流行や理想よりも結果と再現性を重視する。

にもかかわらず、「血を混ぜない」という選択だけは、形を変えながら今も残っている。

このズレは、感情論では説明できない。なぜなら、血統を固定することで起きる現象は、あまりにも一貫しているからだ。

・価値観が揃いやすい
・判断基準が共有されやすい
・能力や役割が先鋭化しやすい
・内部の統制が取りやすい

もちろん代償もある。病、歪み、閉鎖性。だがそれでも、「支配を維持する」という目的に限れば、血統固定は機能してきた

ここで初めて見えてくるのは、「血を混ぜない=道徳の問題」ではなく、「血を混ぜない=構造上の選択」だったという事実だ。

この章で問うべきなのは、「正しいか間違っているか」ではない。なぜそれが機能してしまったのか。その構造を直視しない限り、私たちは同じ混乱を何度でも繰り返すことになる。

「思想」ではなく「構造」で見ると、話が変わる

ここで一度、「善悪」や「思想」のレンズを外してみる。支配層が血を混ぜなかった理由を、価値観や差別意識で説明しようとすると、どうしても感情論になる。だが、構造で見ると話はシンプルになる。

彼らがやっていたのは、「優れている血を守った」のではない。“同質性を維持することで、システムの安定性を高めた”だけだ。

血縁が近い集団では、育ち・教育・価値観・判断基準が揃いやすい。結果として、意思決定が速く、内部対立が起きにくい。これは能力や道徳以前の、純粋な構造上の利点だ。

混ざることは、適応範囲を広げる代わりに、特化を失う。逆に混ざらないことは、適応範囲を狭める代わりに、先鋭化を生む。

支配層はこのトレードオフを理解していた。だから「皆と分かり合う」ことよりも、「自分たちの構造を維持する」ことを選んだ。それは冷酷さではなく、目的に忠実だった結果だ。

ここで重要なのは、これを肯定することではない。「なぜそれが機能したのか」を、感情抜きで理解することだ。

血を混ぜないと、何が起きるのか

では、血統を固定すると、実際にどんな構造が生まれるのか。簡略化すると、次の流れになる。


血統の固定

育成環境・価値観の均質化

判断基準の共有

意思決定の高速化

権力と役割の集中


この構造の核心は、「優秀さ」ではない。ブレの少なさだ。

異なる背景を持つ人間が増えるほど、調整コストは跳ね上がる。話し合い、配慮、翻訳、理解。そのすべてが必要になる。一方、血縁と文化が近い集団では、説明すら不要になる。「察する」「当然」が通じる。

支配層にとって最も重要なのは、共感ではない。統治が回ることだ。もちろん、血統固定には明確な代償がある。遺伝的リスク、閉鎖性、硬直化、内部腐敗。これは避けられない。

だが、それでもこの構造が長く残った理由は単純だ。短期的な人道より、長期的な支配に向いていた

この構造を理解せずに、「なぜ分かり合えないのか」「なぜ不平等が生まれるのか」を語ると、必ず道徳論に迷い込む。

だが実際には、問題は善悪ではなく、どの構造を選んだかの結果にすぎない。

ここまで来て、ようやく問いは変わる。「血を混ぜるべきか、混ぜないべきか」ではない。「自分は、どの構造の中で生きたいのか」という問いに。

あなたは「混ざる側」か「維持する側」か

ここまで読んで、もし強い違和感や反発を覚えたなら、それ自体がヒントだ。なぜならこの話は、支配層だけの特殊な話ではなく、日常の人間関係や人生選択にもそのまま当てはまる構造だからだ。あなたはこれまで、

・分かり合えない相手に合わせ続けていないか
・「違う」ことを説明し続けて疲弊していないか
・自分の判断や感覚を薄めて、場に溶け込もうとしていないか

逆に言えば、

・価値観が近い人といると異常に楽
・話が早く、説明がいらない相手がいる
・同じ前提を共有できる環境では力を出せる

こうした感覚を「心が狭い」「排他的だ」と否定してこなかっただろうか。

混ざることは、悪ではない。だが、混ざることを前提に生きると、必ず適応コストが発生する。支配層はそれを払わなかった。あなたは今、誰のためにそのコストを払い続けているのか。

問いはここにある。「正しいか」ではなく、「どの構造を選び、どの代償を引き受けるのか」だ。

善悪ではなく、構造で世界を読むために

この章で扱ったのは、血統や支配の話ではあるが、本質はそこではない。重要なのは、「なぜそれが機能したのか」を感情抜きで捉える視点だ。

構造録 第5章「種族と血統」では、

・分かり合えない現実の正体
・混ざること/混ざらないことの両方の代償
・自然界と人間社会が共有しているロジック
・「優しさ」ではなく「選択」で成り立つ世界

これらを、肯定も否定もせず、構造として整理している。

もしあなたが、「なぜ努力しても通じないのか」、「なぜ疲れる側ばかりが消耗するのか」。その答えを感情論ではなく、仕組みとして理解したいなら、構造録はそのための地図になる。

分かり合えないのは、失敗ではない。それは、違う構造に生きているだけかもしれないのだから。

👉 構造録 第5章「種族と血統」を読む