なぜ文明は平等ではなく「強さ」を選ぶのか|多様性と選別の構造を解説
「みんな平等であるべきだ」
この言葉に、違和感を覚えたことはないだろうか。
理念としては正しい。誰もが同じ価値を持ち、同じ権利を持つ社会。学校でも、メディアでも、正義として語られてきた。
でも現実を見るとどうだろう。歴史を振り返っても、今の世界を見渡しても、文明は一度として完全な平等を実現していない。それどころか、競争があり、格差があり、常に「強い側」が中心に立ってきた。
もし平等が本当に人類にとって最適なら、なぜ文明は何度もそれを裏切るのか。この違和感は、思想の問題ではなく、もっと根深いところに原因がある。
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平等は未完成だから実現していない
一般的にはこう説明される。平等が実現しないのは、人類がまだ未熟だからだ。差別や格差は、教育不足や偏見、制度の不備によって生まれている。本当は人は皆同じで、正しく理解し合えれば平等な社会は実現できると。
だからこそ、啓蒙が必要で、制度改革が必要で、強者は弱者に配慮すべきだとされる。この説明は優しく、希望がある。問題を「改善可能なもの」として扱えるからだ。
多くの人がこの物語を信じているし、信じたいと思っている。平等は「まだ到達していない理想」だという前提が、ここにはある。
なぜ文明は必ず「強さ」を残すのか
だが、この説明には決定的に説明できない点がある。文明は進めば進むほど、知識も技術も洗練されてきたはずなのに、なぜ支配構造や序列は消えないのか。
むしろ形を変えながら、より巧妙に残り続けている。政治、経済、軍事、文化。どの分野でも「強い側」が意思決定を握り、弱い側は適応を強いられる。
もしこれは単なる未熟さの問題なら、どこかの文明で「平等を最優先する社会」が安定的に存続していてもいいはずだ。
しかし実際には、平等を徹底しようとした社会ほど、内部崩壊か外部からの侵略に弱かった。
この事実は、「平等は未完成だから実現しない」という説明だけでは足りないことを示している。文明が繰り返し選んできたのは、理想としての平等ではなく、生き残るための強さだったのではないか、という疑問がここで浮かび上がる。
「思想」ではなく「構造」が文明を選ばせている
ここで視点を変える必要がある。文明が平等を選ばないのは、思想が間違っているからではない。人類が冷酷だからでもない。
問題は「何が文明を存続させるか」という構造そのものにある。
文明は理念で生き残るのではない。外部環境との競争、内部資源の配分、人口維持という現実条件を満たせなければ、どんな理想も消える。平等は美しいが、平等だけでは選択と決断ができない。全員の意見を同じ重さで扱うほど、判断は遅れ、分裂は増える。
結果として、文明は「強く決められる存在」を必要とする。これは善悪の問題ではなく、機能の問題だ。誰かが選び、誰かが従い、誰かが排除される。この非対称性こそが、文明を外部圧力から守ってきた。
つまり文明が選んできたのは、「不平等だから強い」のではなく、「強くなろうとした結果、不平等になる」という構造だ。平等は否定されていない。ただ、生存競争の中で優先順位を下げられてきただけなのである。
文明が「強さ」を選ぶまでの構造
ここで、文明がどのような構造を経て「強さ」を選ぶのかを整理する。
まず前提として、文明は常に外部と接している。他文明、自然環境、資源の限界。完全に閉じた世界など存在しない。
この外部圧力が生まれると、文明内部では選択が必要になる。誰に資源を配るのか。誰を守り、誰を切るのか。この時点で、完全な平等は維持できない。構造はこう進む。
外部圧力(競争・侵略・資源不足)
↓
迅速な判断の必要性
↓
意思決定権の集中
↓
能力・血統・実績による選別
↓
支配層・中間層・従属層の形成
この流れの中で重要なのは、「誰が優れているか」よりも「誰が決められるか」だ。決断力、統率力、継続性。これらは偶然よりも再現性を重視される。
だから文明は、血縁や同族、同質性を好む。理解し合えるからではない。裏切られにくく、管理しやすいからだ。
平等を徹底すると、この選別ができなくなる。全員を救おうとする文明は、結果として誰も守れなくなる。これは冷酷な話ではなく、機能の話だ。
だから文明は繰り返し「強さ」を選ぶ。強さとは、優しさの対義語ではない。生き残るための最適化の結果であり、その副作用として不平等が生まれる。
この構造を理解しないまま、平等だけを掲げると、文明は内部から崩れていく。理想が間違っているのではない。構造を無視しているだけなのだ。
あなたの世界は、何を優先してきたか
ここまで読んで、少し居心地の悪さを感じたかもしれない。
・「それでも平等であるべきだ」
・「強さを選ぶのは間違っている」
そう思うのは自然だ。だが、少しだけ自分の周囲を見てほしい。あなたが属してきた組織、家族、学校、職場、コミュニティ。そこでは本当に平等な決定が行われていただろうか。
声の大きい人、成果を出した人、決断できる人に、自然と権限が集まっていなかったか。そして「全員を尊重する」という建前の裏で、誰かが黙って消耗していなかったか。
もしあなたが「合わせる側」だったなら、それは優しさの問題だっただろうか。それとも、その集団がすでに「強さ」を優先する構造に入っていただけなのか。
逆に、もしあなたが決める側にいたなら、その立場は理想から生まれたのか、それとも必要性からだったのか。この問いに答えは出さなくていい。ただ、見なかったことにはできなくなる。
善悪ではなく「構造」で世界を見るために
構造録 第5章「種族と血統」は、誰かを裁くための章ではない。平等も、強さも、正義も、すべてを「正しい・間違い」で切らず、なぜそうなったのか、なぜ繰り返されるのかを構造として描いている。
この章を読むと、安心はしないかもしれない。だが、自分や他人を無理に責めなくて済む視点は手に入る。「分かり合えない」のは怠慢ではなく、「強さが選ばれる」のは悪意ではなく、そういう構造だったのだと理解できるようになる。
もし今、世界や人間関係に違和感を覚えているなら、その正体を感情ではなく構造で見に来てほしい。答えを押しつける本ではない。ただ、逃げてきた問いを、逃げずに並べた記録がそこにある。
