なぜ「まともな人」ほど組織で生きづらいのか|正論が嫌われる構造を解説
真面目に働いている。嘘もつかない。空気を壊すつもりもない。それなのに、なぜか組織の中で居心地が悪い。
発言すれば微妙な空気になり、黙っていれば「やる気がない」と言われる。気づけば、要領のいい人や声の大きい人の方が評価されている。「まともであろう」とするほど、なぜか生きづらくなる。
多くの人がこの違和感を、自分の性格や社会性の問題として処理してしまう。「もっと柔軟にならなきゃ」「空気を読まなきゃ」と。
でも、本当にそれだけだろうか。もしこの生きづらさが、個人の欠陥ではなく、組織そのものの性質から生まれているとしたら。この問いから、話を始めたい。
Contents
適応できない人の問題という一般解釈
一般的には、こう説明されることが多い。組織で生きづらいのは、協調性が足りないから。融通がきかない、理屈っぽい、空気を読めない。つまり、「まともすぎる人」が問題なのだと。
だから対策も決まっている。
・言い方を工夫しよう
・波風を立てないようにしよう
・正論でも黙る場面を覚えよう
確かに、これで一時的に摩擦は減る。だが同時に、「まともさ」を削ることが前提になっている。疑問を飲み込み、不整合を見逃し、納得できないまま従う。
それでも組織がうまく回るなら、我慢の価値はあるかもしれない。だが現実には、それでも疲弊する人は減らない。説明として、何かが足りていない。
まともな人ほど成果を出しても評価されにくい現象
ここで一つ、説明がつかない事実がある。「まともな人」ほど、成果を出しても評価されにくいという現象だ。
ルールを守り、改善点を見つけ、全体最適を考える。短期的には面倒でも、長期的には組織にとってプラスになる行動。
それなのに、なぜか煙たがられる。時には「空気が読めない」「理想論だ」と切り捨てられる。
もし問題が個人の未熟さなら、成果を出した時点で評価は覆るはずだ。だが実際には、成果を出した瞬間から敵が増えることすらある。
さらに不可解なのは、組織を乱しているように見える人の方が、なぜか守られること。責任を曖昧にし、同調圧力を作り、問題を先送りする人ほど、居場所が安定する。
この逆転現象は、「適応できない人の問題」では説明できない。ここには、正しさそのものが不利になる仕組みがある。このズレを理解するために、次で「構造」という視点を導入する。
問題は「人」ではなく「構造」にある
ここで一度、問いの向きを変えよう。「まともな人が生きづらい」のではない。まともさが不利になる構造が、すでに出来上がっている。
多くの組織は、「正しいこと」を目的にしていない。目的はあくまで、現状の維持だ。予算、ポジション、権限、人間関係。それらが大きく揺れないことが、最優先される。
この前提に立つと、見え方が変わる。改善提案は「正しさ」ではなく、不安要素になる。問題提起は「善意」ではなく、現状破壊の兆候になる。
つまり、「まともな人=組織を揺らす可能性が高い存在」という位置づけになる。ここで重要なのは、誰かが意地悪をしているわけでも、悪意があるわけでもない点だ。構造上、そう反応せざるを得ないだけ。
この瞬間から、評価基準は反転する。
・波風を立てない人
・曖昧さを受け入れる人
・問題を言語化しない人
こうした人ほど「扱いやすい」と判断され、守られる。まともな人が生きづらいのは、能力不足ではない。構造と相性が悪いだけだ。
「正しさ」が排除される組織の仕組み
ここで、構造をシンプルに分解する。まず、組織には暗黙のルールがある。それは「正しくあること」ではなく、秩序を乱さないことが評価されるというルールだ。構造はこう動く。
現状の仕組み
↓
既得ポジションの固定
↓
変化への恐怖
↓
問題提起への拒否反応
この中で、まともな人は何をするか。
・不整合に気づく
・理由を説明する
・改善案を出す
だがそれは、「あなたの立場は本当に正当か?」、「このやり方、意味があるのか?」という問いを、無意識に突きつける行為になる。
ここで防衛反応が起きる。理屈では反論できない場合、攻撃は人格に向かう。
・「空気が読めない」
・「融通がきかない」
・「理想論すぎる」
これは議論ではない。構造防衛としてのラベリングだ。
一方で、問題を曖昧にする人はどうか。本質には触れず、感情や慣習に合わせる。結果、構造は守られる。だから評価される。
ここで重要な逆説が生まれる。組織にとって有害な行動ほど、短期的に安定を生む。だから残る。
この構造の中で、まともな人が消耗するのは当然だ。正しさは、構造を揺らす力を持つ。組織は揺れを嫌う。つまり、生きづらさは「あなたの問題」ではない。正しさが負けるようにできている場にいる、というだけだ。
次は、この構造を読者自身に当てはめてもらう。「自分はどこで削られてきたのか」を見てもらう番だ。
正しさを受け取れる構造だったのか?
ここまで読んで、もし心当たりがあるなら、少し立ち止まって考えてほしい。あなたは、「それ、おかしくないですか?」、「もっと良いやり方があると思います」と言ったあと、空気が変わった経験はないだろうか。
正論を言った瞬間、距離を取られた。評価が曖昧になった。なぜか“扱いづらい人”になった。
そのとき、あなたは自分を責めなかっただろうか。言い方が悪かったのか。我慢すべきだったのか。もっと丸くなるべきだったのか。
でも、問いを変えてみてほしい。その組織は、正しさを受け取れる構造だったのか?
もし、「問題提起=秩序破壊」、「改善=誰かの立場を脅かす」、「正論=不安要素」として処理される場だったなら、あなたが削られたのは、自然な結果だ。
ここで考えてほしいのは、「耐え続けるか」ではない。「どこで自分を使うか」だ。まともさは、万能ではない。場所を間違えると、武器ではなく傷になる。
正しさが敗北する構造をさらに深めるために
この章で扱っているのは、「あなたが弱い理由」ではない。正しさが敗北する構造そのものだ。
構造録 第6章「正義と滅亡」では、
・なぜ正義は成功しても潰されるのか
・なぜ改革者は孤立するのか
・なぜ滅びても“意味”が残るのか
それらを、感情論ではなく、再現性のある構造として描いている。もしあなたが、「もう自分を責める説明はいらない」、「現実がそう動く理由を知りたい」と感じたなら、この章は役に立つ。
正しさは、勝つためのものじゃない。でも、世界を遅らせる力は持っている。その意味を、ここで確かめてほしい。
