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信仰と封印

構造録第8章第2節 | 英雄とは、人類の味方だったのか

英雄とは、常に人類の味方だったのだろうか。

この問いは、私たちが無意識に受け入れてきた
「英雄=善」という前提を揺さぶるものである。

多くの物語や神話において、
英雄とは困難に立ち向かい、
敵を倒し、世界に秩序をもたらす存在として描かれる。

だが、その行為の内実を冷静に見つめたとき、
そこには暴力と破壊、
そして一方的な正義が含まれていないだろうか。

1. 英雄視される存在の暴力性

英雄の物語は、多くの場合「戦い」を中心に構成される。

敵を倒し、障害を排除し、支配を確立する行為が、
称賛と栄光に包まれて語られる。

しかし、その過程で行使された暴力は、
本当に不可避だったのか。

あるいは、より強い力を持つ側が、
自らの価値観を押し付けただけではなかったのか。

英雄が振るう剣や力は、正義の象徴として描かれる。

だが、その刃が向けられた先には、
確かに命があり、文化があり、生活があったはずだ。

英雄の暴力は、正義という言葉によって中和され、
疑問を差し挟む余地なく物語の中に組み込まれていく。

かつて「世界を救った」と語られる英雄の物語では、
敵対勢力の殲滅が美談として描かれることが多い。

だが、その英雄が行ったのは、
防衛ではなく先制的な制圧だった場合もある。

自らの秩序を守るために、
異なる価値観を持つ集団を力で排除し、
その結果として世界は「平和」になったと記録される。

ここで問題となるのは、平和が達成された事実ではなく、
その過程で行使された暴力が、
後世ではほとんど検証されなくなる点である。

英雄の行為は結果によって正当化され、
暴力そのものは語られないまま、
正義として固定されていく。

2. 破壊と征服の正当化

英雄の勝利は、
しばしば「世界を救った」という言葉で総括される。

だが、その救済とは、誰にとっての救済だったのか。
英雄が打ち倒した相手は、本当に世界の敵だったのか。

それとも、単に英雄側の秩序に
従わなかった存在だったのか。

征服や破壊が正当化されるとき、
そこには必ず物語が用意される。

敵は残虐で、愚かで、理解不能な存在として描かれる。

そうすることで、
彼らに向けられた暴力は正義となり、
疑うことのできない行為へと変換される。

英雄の行動は、結果によって正当化され、
過程で失われたものは語られなくなる。

英雄の勝利によって滅ぼされた都市や共同体は、
・「堕落していた」
・「危険だった」
・「放置すれば世界が滅びた」
と説明されることが多い。

だが、その評価はすべて勝者側の視点から与えられたものだ。

征服された側の倫理や文化、
彼らなりの秩序は検討されることなく、
「倒されて当然の存在」として物語から排除される。

こうして破壊は「必要な犠牲」となり、
征服は「浄化」へと言い換えられる。

英雄譚とは、破壊を美化し、
支配を正義として再定義する装置でもあるのだ。

3. 敵とされた存在の沈黙

英雄の物語には、
敗者の声がほとんど存在しない。

敵として倒された存在が、
何を考え、
何を守ろうとしていたのかは語られず、
沈黙の中に葬られる。

語られないということは、
存在しなかったことと同義になる。

こうして、物語は一方向に固定されていく。

沈黙させられた側には、弁明の機会も、
評価の余地も与えられない。

英雄が正義であるためには、
敵は悪でなければならないからだ。

こうして、世界は単純化され、
複雑な対立や背景は削ぎ落とされていく。

4. 誰が「悪役」を決めたのか

ある物語では、英雄に敵対した存在が
「怪物」「悪魔」「災厄」として描かれる。

しかし、その存在が何を守り、
なぜ戦ったのかは語られない。

敵役は最初から悪であると設定され、
その内面や論理に光が当てられることはない。

これは偶然ではない。

英雄を成立させるためには、
絶対的な悪が必要だからだ。

こうして「悪役」という役割は、
物語を成立させるために後付けされ、固定される。

誰が悪なのかは、行為そのものではなく、
語る側の都合によって決まっていく。

ここで問うべきなのは、
「誰が英雄を英雄たらしめ、
誰が悪役を悪役として定義したのか」という点である。

英雄とは、自然発生的に生まれる存在ではない。
物語を記録し、語り継ぎ、教育として
流通させる仕組みの中で、英雄像は形作られていく。

勝利した側が記録を残し、その記録が正史となる。
その過程で、英雄は磨かれ、敵は歪められる。

善と悪の境界線は、事後的に引かれ、
あたかも最初から存在していたかのように扱われる。

英雄とは、人類を救った存在なのか。
それとも、ある価値観を勝たせた存在なのか。

この問いに向き合うことは、
神話や歴史を否定することではない。

むしろ、与えられた物語を
そのまま受け取るのではなく、
背後にある構造を見つめ直すための第一歩なのである。

5. 構造図


英雄

勝利

正義化

他者の悪魔化


この構造は、「英雄」という存在が
どのようにして絶対的な正義へと変換され、
同時に他者を悪へと押し込めていくかを示している。

まず、ある存在が英雄と呼ばれるためには、
何らかの「勝利」が必要になる。

この勝利は戦争、征服、革命、討伐など、
常に他者との対立の上に成立している。

勝利した瞬間、
その行為は結果論によって評価され、
善悪の検証は後回しにされる。

次に、その勝利は物語や歴史の中で「正義化」される。

勝った側の論理が記録として残り、
英雄の行為は
「必要だった」「世界のためだった」と再解釈される。

この段階で、行為そのものの
暴力性や犠牲は薄められ、
正義という一語に集約されていく。

そして最後に起こるのが「他者の悪魔化」である。

英雄に敗れた存在、抵抗した者、
異なる価値観を持っていた者は、
正義の物語を成立させるために悪として定義される。

彼らの動機や事情は語られず、
「倒されるべき存在」として固定される。

こうして英雄の正義は保たれ、
その裏側で無数の声が沈黙させられていく。

この構造は神話に限らず、
歴史や現代社会にも繰り返し現れている。

Q. この節を読み終えたあなたへ

この節を読み終えたあなたは、
これまで「英雄」だと信じてきた存在を、
今も同じ眼差しで見ることができるだろうか。

あなたが正義だと感じてきた物語は、
誰の立場から語られていたものだっただろうか。

もし、歴史や神話が勝者の記録であるならば、
そこに登場しない者たちは、何を語ろうとしていたのか。

英雄に討たれた存在は、本当に「悪」だったのか。
それとも、単に敗れた側だっただけなのか。

あなた自身の人生を振り返ってみてほしい。

正しいとされてきた意見、
正論と呼ばれた行動、
皆が拍手を送った決断

――それらの裏で、黙らされた声や
切り捨てられた存在はなかっただろうか。

あなたは無意識のうちに、
「勝った側の正義」に乗っていなかっただろうか。

正義とは、本当に絶対的なものなのか。
それとも、力を持った者が後から与える名前に過ぎないのか。

この問いは、英雄を否定するためのものではない。

ただ、物語を一方向からしか見ない危うさに、
あなた自身が気づくための問いである。

もし、善と悪が反転する可能性があるとしたら――
あなたは次に、どの立場の声に耳を傾けるだろうか。

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構造録第8章「信仰と封印」全各節(パスワード:belpre666)

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第1節:神話は勝者の記録である

第2節:英雄とは、人類の味方だったのか

第3節:悪とされた者たちの論理

第4節:祈りによる封印

第5節:歪んだ神は、なぜ災厄となるのか

第6節:善悪を超えて、真実を解放する