なぜ、きつい仕事ほど給料が安いのか
毎日体を使い、気を張り、危険や責任を伴う仕事ほど、なぜか給料が安い。
そんな感覚を、一度は抱いたことがあるのではないだろうか。
暑さや寒さに耐え、クレームを受け、ミスが許されない現場で働いているのに、生活は楽にならない。一方で、デスクに座り、現場から離れた仕事をしている人ほど、収入が高いように見える。この違和感は、決して個人の努力不足や甘えだけで説明できるものではない。
「社会に必要な仕事ほど報われるはずだ」
そう信じたい気持ちとは裏腹に、現実は逆の配置になっていることが多い。
危険で、きつくて、代わりがきかない仕事ほど、条件が厳しい。
この矛盾を、あなたはどこかで「仕方がないもの」として飲み込んできたかもしれない。しかし本当にそうだろうか。
この問題には、個人の能力や根性論では説明しきれない、別の理由が存在している。
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給料は能力や努力、スキルで決まる
この問題について、よく語られる説明がある。
「給料は能力やスキル、努力に比例する」「高い給料をもらっている人は、それだけ価値のある仕事をしている」という考え方だ。たしかに一理はある。専門性の高い仕事や、成果が数字で見えやすい仕事が評価されやすいのは事実だろう。
また、「きつい仕事は誰にでもできるから安い」「代わりがいる仕事は賃金が上がらない」と説明されることも多い。市場原理や競争の結果だ、と。
この説明を聞くと、状況に納得せざるを得ない気もするし、「自分がもっと能力をつけるしかない」と思ってしまう人も多い。
しかし、この説明だけで、すべての現実が説明できているだろうか。
努力しても、責任を背負っても、現場で価値を生み続けても、なぜ報われない人が生まれ続けるのか。その点について、この説明は多くを語っていない。
それでも“きつい仕事ほど安い”現実は説明できない
一般的な説明には、どうしても説明しきれない「ズレ」が残る。
たとえば、同じ会社の中で、実際に売上を生み出している現場の人ほど給料が低く、現場から離れた管理職や役員ほど高収入になるケースは珍しくない。仕事のきつさや責任、社会的な必要性と、報酬の高さがまったく比例していない場面は、いくらでも見つかる。
また、「誰にでもできる仕事は安い」と言われるが、実際には長時間労働や危険、精神的負荷を伴い、簡単に代替できない仕事も多い。それでも賃金は上がらない。
さらに不思議なのは、会社の売上や利益が増えても、現場の給料がほとんど変わらないことがある一方で、上層部の報酬だけが大きく増えるケースがあることだ。
もし給料が純粋に「価値」や「努力」で決まるなら、こうした配置は説明がつかない。
ここで浮かび上がるのは、「給料が低いのは自分の価値が低いから」という説明そのものが、現実と噛み合っていないという事実である。
給料は“仕事の大変さ”ではなく“利益の配分構造”で決まる
このズレを理解するために必要なのが、「個人」ではなく「構造」という視点だ。
構造とは、誰か一人の善悪や能力ではなく、お金や権限がどの位置からどの位置へ流れるように設計されているかという全体の配置のことを指す。
企業において、給料は「仕事のきつさ」や「社会的必要性」ではなく、利益の分配ルールによって決まる。
つまり、「どれだけ稼いだか」よりも、「どの立場にいるか」が大きく影響する。
現場で汗をかいて価値を生み出していても、その利益を直接受け取れる位置にいなければ、報酬は抑えられる。一方で、意思決定権や資本を握る側は、実際の労働時間が短くても、大きな取り分を得られる。
これは努力や才能の問題というより、配分の問題だ。
しかもこの構造は、「会社が成り立っている」「雇用がある」という理由で正当化されやすい。その結果、現場の消耗は個人の問題として処理され、構造そのものは疑われにくくなる。
「きつい仕事ほど給料が安い」という現象は、偶然でも不公平でもなく、
そうなりやすい配置が繰り返し作られている結果だと考えると、多くの矛盾が一本の線でつながり始める。
会社が稼いだお金は、誰に・どの順番で分配されているのか
きつい仕事ほど給料が安くなりやすい構造は、実はとても単純だ。
企業の中でお金が生まれる流れと、配分される流れが一致していないのである。
多くの会社では、現場の労働によって商品やサービスが生まれ、売上が立つ。
つまり、価値は現場で生み出されている。
しかし、その売上が誰の取り分になるかは、「価値を生んだか」ではなく、「どの立場にいるか」で決まる。
経営層や株主は、会社の仕組みそのものを所有・管理しているため、売上から先に報酬を確保できる。一方、現場の労働者は「コスト」として扱われやすく、利益が出ても給料は固定されたままになりやすい。
結果として、売上が伸びても現場の報酬は増えず、上流だけが潤う配置が生まれる。
さらに、現場の仕事は「止まらないこと」が成果になる。
問題が起きなければ評価されず、起きたときだけ責任を負わされる。
このため、価値が可視化されにくく、「誰でもできる仕事」「代替可能」と見なされやすい。
こうして、
価値は現場で生まれるが、利益は上流に集まり、現場はコストとして抑えられる
という構造が固定される。
きつい仕事が安いのは、能力や努力が足りないからではない。
そう扱われやすい位置に、最初から配置されているだけなのである。
あなたの仕事が生んだ利益は、どこへ流れているだろうか
ここまで読んで、あなたの頭には、いくつかの仕事の風景が浮かんでいるかもしれない。
毎日現場で体を動かし、トラブルに対応し、誰かの代わりに責任を引き受けてきた経験。
それなのに、評価は曖昧で、給料はほとんど変わらない。
もし今、あなたが「自分の努力が足りないのかもしれない」「もっと我慢すべきなのかもしれない」と感じているなら、一度立ち止まって考えてほしい。
その仕事は、本当に価値が低かったのだろうか。
それとも、価値が測られない位置に置かれていただけではなかっただろうか。
あなたがいなくなったら、その現場はどうなるだろう。
回らなくなる仕事、誰かが肩代わりする負担、表に出ない混乱。
それが想像できるなら、その仕事は「替えがきくもの」ではない。
問題は、あなたの能力ではなく、あなたが置かれている構造かもしれない。
その可能性を、一度だけでも否定せずに考えてみてほしい。
「きつい仕事が報われない理由」を構造から見直したい人へ
この記事では、「きつい仕事ほど給料が安くなる理由」を、できるだけ感情論を排して構造として整理してきた。
だが、ここで触れたのは、ほんの入口にすぎない。
なぜ社会では、価値を生む側が消耗し、回収する側が守られるのか。
なぜ「頑張れば報われる」という言葉が、現実と噛み合わなくなっているのか。
それらを一つずつ分解しているのが、このサイトでまとめている「構造録」だ。
誰かを糾弾するための文章ではない。
希望を与えるための物語でもない。
ただ、世界がどういう仕組みで回っているのかを、静かに言語化している。
もし今、違和感だけが残っているなら、続きを読んでみてほしい。
答えではなく、視点だけが置かれている。
