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現場仕事が「誰でもできる」と言われる本当の構造|給料が安い理由を構造で解説

現場仕事について語られるとき、よく耳にする言葉がある。

「誰でもできる仕事だから、給料は安くて当然だ」という言い回しだ。

だが、この言葉に素直にうなずける人は、実際に現場で働いた経験があるだろうか。立ち仕事が続き、ミスが許されず、同時に複数の判断を求められ、体力も神経もすり減っていく。

それでも「誰でもできる」と一括りにされる違和感を、現場にいる人ほど強く感じている。

もし本当に誰でもできる仕事なら、なぜ多くの人が短期間で辞めていくのか。なぜ適応できる人と、できない人がはっきり分かれるのか。

この節では、「現場仕事=誰でもできる」という言葉が、どこから生まれ、何を覆い隠しているのかを、構造として見ていく。

現場仕事が誰でもできると一般的に言われる理由

現場仕事が「誰でもできる」と言われる理由は、表向きには単純だ。

・作業内容がマニュアル化されている
・専門知識や高度な判断がいらない
・代わりはいくらでもいる

この説明は、数字や管理の視点から見ると、もっともらしく聞こえる。仕事が細分化され、手順が決まっていれば、理論上は「誰でも同じ成果を出せる」ように見えるからだ。

そのため、現場仕事は「スキルが低い」「付加価値が少ない」と評価され、給料は抑えられ、待遇も後回しにされやすい。

そして、この前提はほとんど疑われない。「単純作業だから」「慣れれば誰でもできるから」という言葉が、説明としてそのまま受け入れられてきた。

だが、この説明は、現場の実態を本当に説明できているだろうか。

現場仕事が誰でもできるとは言い難い現実

この説明には、どうしても説明できないズレがある。たとえば、頭脳労働に長けた人が現場に入ると、かえってミスを連発することがある。一方で、学歴や資格とは関係なく、現場を完璧に回せる人もいる。

コンビニや飲食店、介護や工場の現場では、同時並行で複数の作業を処理し、予測不能なトラブルに即座に対応し続けなければならない。これは「単純作業」とは程遠い。

さらに、体力・集中力・持続力・感情のコントロールといった要素は、マニュアルでは代替できない。向き不向きがはっきり分かれ、適応できない人は心身を壊してしまうことすらある。

もし現場仕事が本当に誰でもできるなら、なぜ離職率は高く、なぜ慢性的な人手不足が続いているのか。

この矛盾は、「仕事の難しさ」ではなく、別の場所に原因があることを示している。問題は、現場仕事の中身ではない。それが「どう語られ、どう扱われているか」という構造そのものだ。

誰でもできるは能力評価ではなく価格を下げるための言葉

ここで視点を変える必要がある。問題は「現場仕事が本当に簡単かどうか」ではない。注目すべきなのは、なぜ“誰でもできる”という語りが、これほどまでに繰り返されるのかという点だ。

この言葉は、現場の実態を説明するために使われているのではない。むしろ、待遇を下げるための正当化装置として機能している。

企業にとって、人件費はコストだ。利益を最大化したい以上、可能な限り安く抑えたい。そのとき最も都合がいい説明が、「この仕事は誰でもできる」という言葉になる。

重要なのは、この説明が「事実」かどうかではない。使われることで、どんな配置が固定されるかだ。

・仕事は軽いものと見なされる
・代替可能だと扱われる
・交渉力が奪われる
・給料は上がらない

こうして、現場の価値は構造的に低く置かれる。つまりこれは、能力論でも適性論でもない。

価値の配分構造の問題である。

現場仕事が誰でもできるかどうかではなく、「誰でもできると言われ続けることで、誰が得をしているのか」そこに焦点を移したとき、初めて全体像が見えてくる。

現場仕事が軽く扱われ、給料が抑えられるまでの構造

ここで、現場仕事が「誰でもできる」とされていく流れを構造として整理してみよう。

① 仕事が分解・マニュアル化される

現場の仕事は、効率化の名のもとに細かく分解される。作業は手順化され、判断は最小限に抑えられる。外から見ると、「決められたことをやっているだけ」に見える状態が作られる。

② 表面上の“単純さ”が強調される

本来必要な体力、集中力、同時処理能力、感情制御は見えない。見えるのは「やることが決まっている」という外形だけだ。ここで、「高度なスキルはいらない」「誰でもできる」という評価が生まれる。

③ 代替可能性が前提として語られる

「代わりはいくらでもいる」という前提が置かれることで、一人ひとりの存在価値は切り下げられる。実際には、現場が回るかどうかは“向いている人”に大きく依存しているにもかかわらず、その事実は無視される。

④ 交渉力が奪われ、待遇が固定される

仕事が軽いものと見なされれば、賃金が低くても「仕方ない」とされる。危険性や負荷、消耗の大きさは、「自己責任」や「慣れの問題」にすり替えられる。

⑤ 結果として、現場だけが疲弊する

こうして、

・離職率は高い
・人手不足は慢性化する
・それでも待遇は改善されない

という状態が続く。

それでも構造は変わらない。なぜなら、「誰でもできる」という語りが、すでに前提として固定されているからだ。

このミニ構造録が示しているのは、現場仕事が軽いから安いのではないという事実だ。安く扱うために、軽いものとして語られている。ここを見誤ると、現場で感じている違和感は、永遠に「自分の能力不足」として処理され続ける。

あなたの仕事は誰でもできると扱われていないか?

ここまで読んで、あなた自身の仕事を思い浮かべてみてほしい。その仕事は、本当に「誰でもできる」だろうか。それとも、実際にやってみなければ分からない負荷や癖、向き不向きが確実に存在している仕事ではないだろうか。

もしあなたが現場で働いているなら、「代わりはいくらでもいる」と言われた経験はないだろうか。その言葉を聞いたとき、仕事が簡単だからではなく、そう言われることで条件が固定されているという感覚はなかっただろうか。

逆に、もしあなたが現場から少し距離のある立場にいるなら、現場の仕事をどこかで「作業」「単純」「誰でもできる」と無意識に扱っていなかっただろうか。

重要なのは、あなたがどれだけ真面目にやっているかではない。あなたの仕事がどんな構造の中で評価され、どんな言葉で語られているかだ。

「自分の能力が足りないのではないか」

そう思い続けてきた違和感は、本当にあなた個人の問題だっただろうか。

能力がないのではなく、構造の問題かもしれない

この違和感を、「愚痴」や「諦め」で終わらせないために、必要なのは努力論ではない。必要なのは、自分が置かれている配置そのものを見る視点だ。

構造録では、
・なぜ現場の仕事ほど軽く扱われるのか
・なぜ真面目な人ほど報われにくいのか
・なぜ「誰でもできる」という言葉が機能し続けるのか

こうした問題を善悪や精神論ではなく、構造として分解している。

自分を責める前に、まず「どんな構造の中にいるのか」を知ってほしい。違和感を言葉にできた瞬間、あなたの立ち位置は、もう少しだけはっきりするはずだ。

👉 構造録 第1章「略奪と創造」を読む