普通でいようとするほど考えなくなる社会の仕組み|常識が思考を止める理由
「普通でいよう」としてきた。空気を読み、波風を立てず、周囲と同じ判断をする。それは大人として、社会人として、正しい振る舞いだと教えられてきた。
けれど、ふと気づくことはないだろうか。いつの間にか、自分で考える場面が減っていることに。「みんなそうしているから」「前からこうだから」という理由で、疑問を持つ前に納得してしまっていることに。
普通でいることは、安心だ。浮かないし、叩かれないし、間違えにくい。しかしその安心の裏側で、思考そのものを手放してはいないだろうか。
この違和感は、あなたの怠慢ではない。もっと大きな、社会の仕組みの問題だ。
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「普通」は協調性であり、成熟の証
一般的にはこう説明される。「普通でいようとする」のは、社会に適応するために必要な能力だと。
集団の中では、自分勝手な意見よりも共通ルールを優先するべき。空気を読めない人は、トラブルメーカーになりやすい。だから「普通」であることは、思慮深さや大人の判断の証だとされる。
また、いちいち物事を疑っていては疲れるし、専門家や前例を信じた方が効率的だとも言われる。全員が深く考えなくても、社会は回るのだからと。
この説明は一見もっともらしい。実際、多くの場面で「普通」は機能してきた。
だが、本当にそれだけだろうか。
なぜ「普通」は思考停止に変わるのか
もし「普通」が成熟の証なら、なぜ社会はこれほど簡単に嘘や不合理を受け入れてしまうのか。明らかにおかしな制度、矛盾を含んだ説明、誰かにだけ不利なルール、それらが「普通だから」という理由で放置される場面は、いくらでもある。
ここにズレがある。「普通」は本来、判断の結果であるはずなのに、いつの間にか判断の代替物になっている。考えた結果、普通を選ぶのではない。普通だから考えないという逆転が起きている。
さらに厄介なのは、普通から外れた瞬間に「面倒な人」「空気を読めない人」というラベルが貼られることだ。疑う行為そのものが、リスクになる。その結果、人は考えないのではなく、考えない方が安全な場所へと追い込まれていく。
これは個人の性格の問題ではない。「普通でいよう」とするほど、思考を止める方向へ誘導される構造が、社会の中に組み込まれている。
「普通」は性格ではなく、設計された安全装置である
ここで視点を変える必要がある。「普通でいようとする人」が考えなくなるのは、意志が弱いからでも、怠けているからでもない。
そもそも「普通」という概念は、自然発生した価値観ではない。社会が円滑に回るために、意図的に強化されてきた行動基準だ。
普通でいる人は、
・指示に従う
・前例を疑わない
・空気を乱さない
・問題提起をしない
これらはすべて、組織や制度を安定させる側にとって、非常に都合がいい。重要なのは、「普通」は判断の結果ではなく、判断を不要にする仕組みとして機能している点だ。
疑問を持つにはエネルギーがいる。間違えるリスクもある。責任を負わされる可能性もある。
だが「普通だから」という理由は、それらすべてを回避できる。考えなくても正しさを借りられる。
つまり、考えなくなるのは個人の堕落ではない。考えない方が安全な構造が、社会の中に埋め込まれている。「普通でいよう」とするほど、人は合理的に、思考を止めていく。
「普通」が思考を奪うまでの流れ
ここで、「普通でいようとするほど、考えなくなる」構造を簡単に分解してみよう。
① 社会は「逸脱」を嫌う
社会や組織は、予測できない行動を嫌う。予測できない=管理できないからだ。そのため、「普通」「常識」「前例」が重視される。
② 普通=安全という評価が与えられる
普通の行動は、叱られない。責任を問われにくい。失敗しても「みんな同じだった」で済む。この時点で、
普通は価値判断ではなく、保身の手段になる。
③ 疑問を持つ行為がリスク化する
逆に、「それっておかしくない?」、「本当に必要?」と問う行為は、空気を乱す行為として扱われる。疑問=面倒、問題提起=厄介というラベルが貼られる。
④ 考える人ほど、損をする学習が起きる
考える人は、説明を求められる、責任を背負わされる、孤立する。結果、「考えない方が楽だ」という学習が成立する。
⑤ 普通が思考の代替物になる
やがて人は、「自分はどう思うか」ではなく、「普通はどうか」で判断するようになる。この瞬間、思考は止まる。止まったのではない。不要になったのだ。
この構造の恐ろしい点は、誰も嘘をついていないことだ。
普通は確かに安全だし、社会は確かに回る。だがその代償として、人は「疑う力」を少しずつ手放していく。これが、「普通でいよう」とするほど、考えなくなる社会の正体だ。
あなたは「普通」でいることで、何を考えずに済ませてきただろうか
ここまで読んで、もし少しでも胸に引っかかるものがあったなら、それはあなたが「考える力」を失っているからではない。むしろ、まだ残っている証拠だ。一度、立ち止まって考えてほしい。
・「みんなそうしているから」で選んだ判断は、どれくらいあるだろうか
・疑問を感じたのに、口に出さなかった場面はなかっただろうか
・空気を壊したくないという理由で、思考を止めたことはないだろうか
それらはすべて、あなたが弱かったからではない。「普通でいる方が安全だ」と学習させられてきた結果だ。
だが同時に、考えないことで守ってきたものの代わりに、失ってきたものもあるはずだ。自分の判断基準。自分の違和感。自分が何を信じたいのかという感覚。「普通でいること」は、何も考えないことと引き換えに、確かにあなたを守ってきた。
では今、その安全装置は、あなたの人生を本当に守っているだろうか。
「疑う力」を取り戻すには、構造を知る必要がある
この文章で語ったことは、「普通な人」を責めるためのものではない。むしろ、なぜ疑えなくなるのか、なぜ考えなくなるのか、その仕組みを明らかにするためのものだ。
構造録・第2章「嘘と真実」では、
・嘘がどのように常識として定着するのか
・なぜ善意や正しさが、思考停止を生むのか
・真実に近づくほど、人は孤立する理由
そうしたテーマを、感情論ではなく、構造として解体している。答えを与える章ではない。安心させる章でもない。
だが、「なぜおかしいと感じていたのか」を言葉にできる章だ。もしあなたが、これ以上「普通」という理由で考えない人生を選びたくないなら、ここから先は、そのための記録になる。
