善悪から降りたつもりで、どちらかを強化している話|中立という幻想の構造
善悪の議論に疲れて、「もうどちらにも肩入れしない」と距離を取ったことはないだろうか。
争いに関わらず、中立でいれば消耗しない。そう思って一歩引いたはずなのに、なぜか状況は悪化し、自分の居心地だけが少しずつ削られていく。
声を上げたわけでも、誰かを攻撃したわけでもない。それなのに「見て見ぬふりをした自分」に引っかかりを覚える瞬間がある。
善悪から降りたつもりなのに、なぜか世界は一方向に進み続ける。その違和感は、あなたの感受性が過剰だからでも、覚悟が足りないからでもない。
問題は「降りた」という認識そのものにある。
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中立は賢く、安全な立場だという言説
一般的にはこう説明される。善悪の対立に深入りすると疲れる。感情的になり、敵を作り、損をする。だから距離を取り、どちらにも与しないのが大人の態度だと。
白黒つけない柔軟さ。多様性を尊重する姿勢。冷静で理性的な判断。中立は、争いを避けるための成熟した選択だと教えられてきた。
実際、「どちらの言い分も分かる」「今は判断しない」という姿勢は、波風を立てない。少なくとも表面上は安全に見えるし、誰からも強く非難されにくい。
だから、多くの人は、中立=無関係=影響を与えない立場だと信じている。
何もしていないのに、結果は偏るという事実
だが現実では、奇妙なことが起きる。誰もが中立を選んだはずの場面で、なぜか一方だけが有利になり、もう一方だけが消耗していく。自分は何もしていないのに、「あの状況を許した側」に含まれてしまう感覚が残る。
もし中立が本当に影響ゼロなら、結果も均衡するはずだ。
だが実際には、判断を保留している間にも、力のある側は行動を続け、既存の流れは止まらない。
その結果、「選ばなかった人」は、ただ流れを支えた存在になる。
ここで初めてズレが露わになる。善悪から降りたつもりでも、現実の構造上、降り場など存在しなかったのではないか。問題は立場ではなく、構造の中で何が進行していたかにある。
問題は「立場」ではなく「構造」にある
ここで視点を切り替える必要がある。善か悪か、中立か非中立か、という立場の問題として考える限り、この違和感は解消されない。
なぜなら、現実は「立場」によって動いていないからだ。現実を動かしているのは、誰が行動し、誰が止まり、どの流れが維持されたかという構造である。
中立という言葉は、「私は選んでいない」という主観を守ってくれる。
だが構造の視点から見れば、選択がなされなかった瞬間にも、世界は必ずどこかへ進んでいる。行動が止まった側があれば、行動し続けた側がある。
その差分が、そのまま結果になる。
つまり、中立とは「影響を与えない立場」ではない。既に動いている流れを、そのまま継続させる選択なのだ。善悪から降りたつもりでも、構造の中では、止まらない側、消耗する側がはっきり分かれている。
ここで重要なのは、誰が善いか悪いかではない。判断を保留した瞬間、どの力が強化されたかという一点だけだ。
「降りたつもり」が強化を生む流れ
ここで、この現象を構造として整理する。中立が一方を強化する構造は下記の通りだ。
対立・不均衡のある状況
↓
片方は行動を継続している
(発言・支配・ルール設定・圧力)
↓
もう片方は消耗し、声を失いつつある
↓
第三者が「中立・不介入」を選ぶ
↓
行動している側の流れが止まらない
↓
結果として、行動側の立場・影響力が強化される
この構造では、「何もしなかった人」も、結果に参加している。なぜなら、止める可能性を放棄したこと自体が、流れを支えた行為だからだ。
ここでよくある誤解がある。「自分一人が声を上げても変わらない」という感覚だ。だが構造的には、声の大小は本質ではない。
重要なのは、「流れにブレーキがかかるか、かからないか」である。中立はブレーキではない。中立は「ブレーキを踏まない」という選択だ。
善悪から降りたつもりでも、現実の構造の中では、踏まなかった人全員で、アクセル側を補強している。
だから後になって、こう感じる。「私は何もしていないのに、なぜこんな結果になったのか」と。それは本当に何もしていなかったのではない。
構造の中で、何もしないという役割を果たしていただけだ。――この構造を理解したとき、「中立」という言葉が持つ安心感は、静かに崩れ始める。
あなたは、どこで「降りた」だろうか
ここまで読んで、「自分はそこまで極端な場面にいない」と思ったかもしれない。だが、構造はもっと日常的な場所で、静かに起きている。
・明らかに理不尽な状況を見て、「様子を見よう」と言ったとき
・誰かが消耗しているのを知りながら、「両方の気持ちは分かる」と言ったとき
・問題点を指摘する人を「過激だ」と感じて距離を取ったとき
その瞬間、あなたは何を守ろうとしていただろうか。正しさか、関係性か、空気か、自分の安全か。そして、あなたが降りたあと、止まったものは何だったか。止まらなかったものは何だったか。消耗したのは誰で、得をし続けたのは誰だったか。
「善悪から降りた」という感覚は、本当に現実から降りていただろうか。それとも、どちらかを静かに支える側に回っていなかっただろうか。
この問いに、正解はない。だが、構造を見ずに答えを出すことも、もうできないはずだ。
「立場」ではなく、「構造」で世界を見るために
ここで扱ってきたのは、「どちらが正しいか」という話ではない。
・なぜ中立が安全に見えるのか
・なぜ何もしない選択が、一方を強化するのか
・なぜ優しさや配慮が、結果的に被害を広げるのか
それらはすべて、善悪の問題ではなく、構造の問題だ。構造録は、「正しく振る舞う方法」を教えるものではない。自分がどの位置で、何を強化しているのかを可視化する記録だ。
もし、「なぜいつも後から苦しくなるのか」、「なぜ何もしていないのに責任を感じるのか」と感じたことがあるなら、それは性格でも、優しさでもなく、あなたが置かれていた構造の問題かもしれない。
次の構造録では、その“居場所のなさ”がどこから生まれるのかを、さらに深く掘り下げていく。善悪から降りられない世界で、それでも自分を失わないために。
