真面目に働いても報われない人が増え続ける理由|評価されない構造の正体
「真面目に働けば報われる」は、本当だろうか。
毎日遅刻せずに出社し、言われたことをきちんとこなし、文句も言わずに働く。周囲に迷惑をかけないよう気を配り、空気を読み、必要なら残業も引き受ける。多くの人が、そうした「真面目さ」を当たり前のように積み重ねている。
それでも、ふと立ち止まったときに、こう感じたことはないだろうか。
・「これだけやっているのに、なぜ生活は楽にならないのか」
・「なぜ評価されるのは、いつも別の人なのか」。
一方で、要領よく立ち回る人や、現場にあまり顔を出さない人のほうが、収入も地位も上がっていく光景を目にすることもある。そのたびに、真面目に働くこと自体が、どこか空回りしているような違和感が残る。
努力が足りないわけではない。怠けているわけでもない。それでも報われない人が、なぜこれほど増えているのか。この違和感には、個人の資質では説明できない理由がある。
Contents
1. 「努力・誠実さ・継続」が評価につながるという考え方
一般的には、こう説明されることが多い。真面目に働いていれば、いずれ上司が見てくれる。経験を積めば、スキルが評価され、給料も上がる。我慢強く続けることが、成功への近道だ、と。
学校でも会社でも、誠実さや忍耐は美徳として教えられる。文句を言わずに役割を果たす人は「信頼できる人材」とされ、逆に主張が強い人や要領のいい人は、どこか軽く見られがちだ。
この考え方は、一見すると筋が通っている。社会は集団で動く以上、協調性や責任感が必要なのは確かだ。
だからこそ、「真面目に働けば報われる」という言葉は、今も多くの人にとって疑う余地のない前提として受け入れられている。
しかし、この説明だけで、今起きている現実を本当に説明できているだろうか。
2. なぜ真面目な人ほど、報われにくくなっているのか
もし「真面目に働けば報われる」が本当なら、真面目な人が増えるほど、社会は安定し、多くの人の生活は少しずつ楽になっていくはずだ。
だが、現実は逆の方向に進んでいる。真面目に働いている人ほど疲弊し、生活に余裕がなくなり、将来に希望を持てなくなっている。
一方で、現場で汗をかいていない層に、より多くの報酬や裁量が集まっていくケースも珍しくない。
さらに不可解なのは、真面目な人ほど「替えがきく存在」になりやすい点だ。文句を言わずにやってくれるから、負担が集中する。断らないから、役割が増える。
しかし、その追加分が評価や報酬に反映されるとは限らない。ここには、「努力が足りない」「能力が低い」では片づけられないズレがある。
真面目さそのものが、評価やお金に変換されない場所に置かれている可能性だ。このズレの正体を理解しない限り、どれだけ真面目さを積み上げても、同じ場所を回り続けることになる。
3. 報われない原因は、個人ではなく配置にある
ここで一度、視点を変えてみたい。「真面目に働いても報われない」のは、本人の努力や性格の問題なのか。それとも、そもそも報われるように設計されていない場所に立たされているのか。
多くの説明は、個人に原因を押し付ける。能力が足りない、工夫が足りない、アピールが下手だと。
しかし、それでは説明できない現象があまりにも多い。
そこで必要になるのが、「構造」という見方だ。構造とは、誰かの意思や善悪とは無関係に、そう動くように組まれてしまっている仕組みのことを指す。
評価制度、報酬配分、役割分担、責任の所在。これらがどう設計されているかによって、どんなに真面目に働いても、成果が本人に返らない位置が生まれてしまう。
重要なのは、「誰が頑張ったか」ではなく、「頑張りがどこに流れるようになっているか」だ。
真面目さが悪いわけではない。
だが、真面目さが回収される構造に接続されていなければ、それは評価にもお金にも変わらない。この章が扱うのは、その冷静で残酷な現実である。
4. 真面目さが報われない仕組みは、こうして完成する
ここで、真面目な人が報われにくくなる構造を、できるだけ単純な流れで整理してみよう。
出発点にあるのは、「仕事が発生する」という事実だ。組織には、必ず誰かがやらなければ回らない作業がある。地味で、面倒で、責任が重いが、成果としては見えにくい仕事だ。
次に、その仕事を引き受ける人が現れる。多くの場合、それは断らない人、空気を読む人、責任感の強い人だ。つまり、真面目な人である。
ここで一度、組織は助かる。問題が起きないからだ。仕事は回り、トラブルも減る。しかし、この時点で評価は確定していない。
次に起きるのが、役割の固定化だ。「あの人に任せれば安心」という認識が生まれ、同じ人に同じ仕事が集まり続ける。だが、その仕事は「当たり前」になり、特別な成果としてカウントされにくくなる。
一方で、評価されやすいのは別の行為だ。数字を動かす、決定を下す、成果を言語化して報告する、あるいはリスクを取ったポーズを見せること。
ここで重要なのは、評価基準が「貢献」ではなく「可視性」に置かれている点だ。どれだけ現場を支えても、それが見えない形であれば、評価には結びつかない。
最終的に起きるのは、真面目な人ほど仕事量が増え、時間と体力を消耗し、評価と報酬は別の場所に流れていく、という現象だ。
この構造の中では、真面目さは美徳ではあっても、対価を生む要素にはなりにくい。報われないのは努力不足ではない。努力が回収されない位置に置かれているだけなのだ。
この構造録が示しているのは、「真面目に働けば報われる」という言葉が、構造を無視した理想論に過ぎないという事実である。
5. あなたの「真面目さ」は、どこへ流れているだろうか
ここまで読んで、あなた自身の働き方を思い浮かべてほしい。あなたは、職場でどんな役割を担っているだろうか。
断らずに引き受けてきた仕事。誰もやりたがらない雑務。トラブルが起きないように先回りして潰してきた問題。
それらは、本当に「評価」や「報酬」に変わっているだろうか。それとも、「あの人がやってくれるから大丈夫」という安心材料として消費されているだけではないだろうか。
もし、あなたが今日突然その職場を離れたら、何が起きるだろう。混乱が生じるかもしれない。誰かが困るかもしれない。だが、その困りごとは、あなたがいたからこそ見えなかっただけかもしれない。
もう一つ、問いを置いてみてほしい。あなたの真面目さは、誰の利益を増やしているのか。そして、その利益は、あなた自身に戻ってきているだろうか。
努力を疑う必要はない。だが、努力の置き場所は、疑っていい。
6. 報われない理由を「自分のせい」にし続けないために
この違和感を、「世の中そんなものだ」で終わらせることもできる。あるいは、「自分が未熟だからだ」と抱え込むこともできる。
だが、もし報われなさが個人の問題ではなく、繰り返し再生産される構造の問題だとしたらどうだろう。
構造録 第1章「略奪と創造」では、仕事・評価・報酬がどのように歪んだ配分を生み、なぜ現場に近い人ほど報われにくくなるのかを、感情ではなく、構造として解体している。
答えを押し付ける本ではない。ただ、「なぜそうなっているのか」を自分の頭で理解できる視点を手渡す。
真面目さを捨てる必要はない。だが、真面目さをどこに接続するかは、選び直せる。
そのための材料が、構造録には詰まっている。
