なぜ炎上は広がり、正論は消えるのか|教育と伝達の構造解説
炎上している投稿は、驚くほど早く拡散される。一方で、冷静で筋の通った正論や、丁寧に書かれた説明は、ほとんど届かない。
この光景を見て、「世の中は感情論ばかりだ」「人は愚かだ」と感じたことはないだろうか。
間違った情報が広まり、誰かを攻撃する言葉が可視化される一方で、事実を整理した発信や、社会を良くしようとする言葉は、静かに沈んでいく。努力して書いた正論ほど、反応が薄いという逆転現象。
これは本当に、人々の質が下がったからなのだろうか。それとも、 倫理の問題では説明できない、別の力学が働いているのだろうか。
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炎上は感情、正論は退屈だからという理屈
この現象について、よく語られる説明はシンプルだ。「人は理性より感情で動く」「怒りや不安のほうが拡散力を持つ」「正論はつまらないから読まれない」。
確かに、炎上には怒り・恐怖・正義感といった強い感情が伴う。一方、正論は冷静で、即座にスカッとする快楽を与えない。SNSは短時間で刺激を消費する場だから、感情的な投稿のほうが有利――そう説明される。
また、「分かりやすさ」の問題だとも言われる。炎上は善悪が単純で、誰でも参加できる。対して正論は前提条件が多く、理解にコストがかかる。
この説明は一見、もっともらしく聞こえる。だが、それだけで本当に説明しきれているだろうか。
正論が“消される”理由
感情が強いから炎上が広がる――それだけなら、正論も同じ条件で拡散されるはずだ。社会的不正を告発する怒り、未来への危機感、理不尽さへの抗議。正論の側にも、十分に強い感情は含まれている。
それでも多くの場合、正論は「盛り上がらずに終わる」。あるいは、途中で話題が逸らされ、揶揄され、空気化されていく。
さらに奇妙なのは、炎上は「長く残る」のに、正論は「保存されない」ことだ。後から検索しても、冷静な分析や重要な指摘ほど見つからない。まるで、最初から存在しなかったかのように。
もし原因が単なる「感情の強さ」や「分かりやすさ」なら、ここまで一方的な差は生まれないはずだ。つまり問題は、何が拡散されるかではなく、何が“残る構造になっているか”にある。
ここで初めて、「炎上」と「正論」を分けている、もっと深いレイヤーの存在が見えてくる。
問題は「感情」ではなく「構造」にある
ここで一度、問いの立て方を変えてみよう。「なぜ炎上は感情的だから広がるのか」ではなく、「なぜ炎上が“広がるように機能しているのか」と。
炎上と正論の違いは、内容や正しさではない。それは、使われ方の違いだ。
炎上は、多くの場合「理解」される必要がない。怒り、嘲笑、不安を吐き出すための出口として消費される。参加者は何かを学ぶ必要も、変わる必要もない。ただ反応すればいい。
一方、正論は違う。正論は「受け取った後、どうするか」を問う。行動、態度の変更、価値観の更新を暗に要求する。つまり正論は、受け手にコストを発生させる情報だ。
ここで初めて見えてくるのは、炎上と正論は「競争」しているのではなく、役割の違う回路を流れているという事実だ。
炎上は排出の回路。正論は変化の回路。
現代の情報空間は、排出には最適化されているが、変化には極端に不向きな構造をしている。だから炎上は自然に広がり、正論は自然に消えていく。
これは人の質の問題ではない。構造の問題だ。
炎上が残り、正論が消える仕組み
ここで、炎上と正論が辿る構造を整理してみよう。
炎上の構造
炎上は、以下の流れで発生・拡大する。
感情の刺激
↓
即時反応(怒り・同調・攻撃)
↓
他者との連結(群れ)
↓
感情の排出
↓
何も変えずに終了
重要なのは、炎上は「理解」も「納得」も必要としない点だ。参加者は安全な位置から正義を振りかざし、自分は何も失わずに済む。
炎上は、社会のガス抜き装置として機能する。だからこそ、構造的に「広がりやすい」。
正論の構造
一方、正論はこうなる。
情報の提示
↓
理解の要求
↓
内省・葛藤
↓
行動や態度変更の可能性
↓
コストの発生
正論は、「あなたはどうするのか?」を突きつける。それは不快で、面倒で、逃げたくなる問いだ。
多くの人にとって、正論は“危険な情報”になる。なぜなら、受け取った瞬間から現状維持ができなくなるからだ。
なぜ正論は消されるのか
ここで決定的な違いが生まれる。
炎上は、現状を壊さない。
正論は、現状を揺らす。
だから社会は、無意識に選ぶ。「吐き出せる情報」を残し、「変わらなければならない情報」を遠ざける。これが、炎上は拡散され、正論は保存されず、後から見つからなくなる理由だ。
教育と伝達の視点から見ると
この構造は、教育の失敗そのものでもある。
伝わることと、広がることは違う。
広がることと、変わることはさらに違う。
正論が広がらないのは、正しさが足りないからではない。「受け取る準備がある人」だけにしか届かない構造だからだ。
ここから先で問うべきなのは、「どうすれば広げるか」ではなく、「誰に、どう残すのか」という問いになる。
あなたは、どの回路に立っていたのか
ここまで読んで、少し胸に引っかかるものがあるなら、それはあなた自身が、この構造のどこかにいたからかもしれない。
あなたはこれまで、正しいことを言っても届かない場面を、何度見てきただろうか。あるいは、心の中で「その正論は正しい」と思いながら、何も行動せず、ただ画面を閉じたことはなかっただろうか。
炎上を眺めて、「くだらない」と思いながらも、その熱量に少し引き寄せられた経験はないだろうか。
ここで問いたいのは、善悪ではない。あなたがどちらの回路に立たされていたかだ。感情を吐き出す側だったのか。変わる可能性を引き受ける側だったのか。
正論が消えるのは、誰かが悪いからではない。多くの場合、受け取る準備がある人が、まだ少ないだけだ。
もしあなたが、「それでも残したい」「それでも伝えたい」と感じたなら、あなたはすでに、次の段階に足を踏み入れている。
伝わらない現実から、どう立ち上がるか
構造録 第7章「教育と伝達」は、ここで終わる話ではない。正論が消える構造を理解した上で、それでもなお、どうすれば思想は残り、継がれていくのかを描く。
説得しない。無理に広げない。全員を変えようとしない。それでも、確実に火を灯す方法がある。それは「教える」ことではなく、生き方そのものを示すことである。
この章は、伝わらなかった側のための章であり、それでも諦めきれなかった人のための設計図だ。
もしあなたが、「もう一度、違うやり方で向き合いたい」と思ったなら、構造録第7章を、続きを読んでみてください。ここから先は、広げる話ではなく、残す話になる。
