真実がつらいのは、現実が厳しいからではない|嘘と真実の構造を解剖する
・「真実はつらいものだ」
・「現実は厳しいから受け止められない」
そんな言葉を、あなたも一度は聞いたことがあるかもしれない。たしかに、現実には理不尽なことが多い。
努力が報われないこともあれば、信じていたものが崩れることもある。だから、真実を直視するのは苦しい――そう説明されると、どこか納得してしまう。
けれど、ふと立ち止まって考えてみると、同じ現実を前にしても、平然としている人と、深く傷つく人がいる。
もし「現実が厳しいから」だけが理由なら、なぜここまで感じ方に差が出るのだろうか。真実がつらい理由は、本当に「現実そのもの」なのか。そこに、別の原因は隠れていないのだろうか。
Contents
「真実=厳しい現実」説
一般的には、真実がつらい理由はこう説明される。
・現実は甘くない
・理想と違うからショックを受ける
・人は弱いから、真実から目を背けたくなる
つまり、「真実がつらい=現実が厳しい+受け止める側が未熟」という図式だ。
この説明は分かりやすく、道徳的でもある。「現実を受け入れられないのは、自分の問題だ」と考えれば、世界の構造そのものを疑わずに済む。
実際、「現実を直視しろ」、「甘えるな」、「大人になれ」といった言葉は、真実の苦しさを説明する常套句として使われてきた。
しかし、この説明には、どうしても説明しきれない点が残る。
なぜ“真実”だけが、こんなに苦しいのか
現実が厳しいだけなら、私たちはもっと日常的に耐えられなくなっているはずだ。
仕事の忙しさ、金銭的な不安、人間関係のストレス。それらは確かに厳しいが、多くの人は「つらいなりに」やり過ごしている。
ところが、ある瞬間に限って、人は極端に混乱し、怒り、絶望する。
・信じていた人の本音を知ったとき
・善意だと思っていたものが、別の意図を持っていたと気づいたとき
・「自分は守られていなかった」と理解したとき
このとき苦しいのは、事実そのものよりも、それまで信じていた前提が崩れる感覚だ。
同じ現実でも、「最初からそうだと思っていた」場合は耐えられる。しかし、「信じていた物語が否定される」瞬間だけ、耐えがたい痛みが生まれる。ここにあるのは、単なる「現実の厳しさ」ではない。
信じていた構造と、目の前の事実とのズレ。真実がつらいのは、現実が厳しいからではなく、自分が置かれていた構造に気づいてしまうからではないだろうか。
「構造」という考え方で見直す
ここで、一つ視点を変えてみたい。「真実がつらい」という現象を個人の性格や精神力の問題としてではなく、構造の問題として捉えるという視点だ。構造とは、
・人がどう理解するように配置されているか
・どんな前提を信じるよう誘導されているか
・疑わなくて済むよう、どんな物語が用意されているか
そうした見えない枠組み全体を指す。人は、現実をそのまま見て生きているわけではない。常に、「これはこういうものだ」、「こう考えれば安心だ」という説明の中で世界を理解している。
問題は、その説明や物語が機能している間は快適だという点だ。信じている間は、違和感があっても整理できる。納得できない出来事も、意味づけできる。だから人は、その構造の中に留まり続ける。
だが、ある瞬間、説明が破綻する。物語が現実と噛み合わなくなる。そのとき人は、
「現実が厳しい」のではなく、自分が置かれていた構造を見てしまう。
真実がつらいのは、現実の重さではなく、安心を与えていた構造が剥がれ落ちる瞬間だからなのだ。
小さな構造解説|「嘘と真実」が入れ替わるまでの流れ
ここで、真実がつらくなるまでの流れを、小さな「構造」として整理してみる。
① 安心を与える物語が置かれる
人はまず、世界を理解するための「分かりやすい説明」を受け取る。
・努力すれば報われる
・善意は必ず評価される
・信じ合えば関係は良くなる
これらは必ずしも嘘ではない。だが、例外を含まない前提として受け取られると、非常に強い安心を生む。
② 物語が前提になり、疑問が消える
説明が機能している間、多少の違和感は「自分の問題」として処理される。
・まだ努力が足りないだけ
・相手も大変なんだ
・きっと意味がある
ここで重要なのは、現実を検証しているつもりでも、実際には物語の中で解釈しているだけだという点だ。
③ 構造が思考を代行し始める
やがて、人は考えなくなる。
・この人は信頼できる
・この選択は正しいはず
・疑う自分のほうがおかしい
判断の基準が、自分の感覚ではなく、構造が与えた前提に置き換わる。この段階では、嘘も真実も、すでに区別されていない。
④ 現実が前提を破壊する
しかし、現実は必ずどこかで前提と衝突する。
・信じていた相手の行動が説明できない
・善意が搾取に変わっている
・努力が報われないどころか消耗している
ここで初めて、「何かがおかしい」という感覚が浮上する。
⑤ 真実が現れ、痛みが発生する
このとき現れる真実は、単なる事実ではない。
・自分は守られていなかった
・信じていた説明が機能していなかった
・判断を預けていた
つまり、構造に乗っていた自分自身を理解してしまう。この瞬間に生じるのが、「真実はつらい」という感覚だ。
重要なのは、真実が人を傷つけているのではないという点だ。傷ついているのは、真実が現れるまで、構造が守っていた安心である。
その「つらさ」は、どこから来たのか
ここまで読んで、あなたは「少し極端な話だ」と感じただろうか。あるいは、「自分には関係ない」と思ったかもしれない。
では、少しだけ立ち止まって考えてみてほしい。あなたがこれまで「真実を知ってつらくなった」と感じた場面で、その前に、どんな前提を信じていただろう。
・きっと良くなると思っていた
・この人は信頼できると思っていた
・自分が我慢すれば成立すると考えていた
その前提が崩れたとき、あなたは何に一番ショックを受けただろうか。現実そのものか。それとも、信じていた説明が機能していなかったことか。
もし、「なぜあのとき気づけなかったのか」、「どうして疑わなかったのか」と自分を責めているなら、それはあなたの弱さではない。
その前提が、疑わなくて済むように作られていた構造だった可能性はないだろうか。
「嘘と真実」を、個人論から構造論へ
構造録 第2章「嘘と真実」では、真実を「勇気の問題」や「覚悟の話」として扱わない。
なぜ人は嘘に留まり、なぜ真実は遅れてやってくるのか。その背景にある構造そのものを解剖していく。誰かを糾弾するためでも、自分を強くするためでもない。ただ、もう同じ場所で思考を止めないために。
もしあなたが、「なぜ同じ苦しさを繰り返してきたのか」、「なぜ説明に納得してしまったのか」を一度きちんと見直したいなら、構造録はそのための地図になる。
真実は、あなたを壊すためにあるのではない。構造から降りるために存在している。続きは、構造録 第2章「嘘と真実」で。
