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何も奪っていないのに、なぜ消耗しているのか|見えない負担の構造を解く

誰かを出し抜いた覚えもない。ズルをしたつもりもない。むしろ、できるだけ誠実に、迷惑をかけないように働いてきた。

それなのに、気づけば疲れが抜けず、余裕も残らない。「何かを奪って得をした」感覚は一切ないのに、なぜか自分だけが消耗している気がする——。

頑張りが足りないのだろうか。要領が悪いだけなのか。そう思って自分を責めてみても、腑に落ちない。

なぜなら、同じように働いているはずの人が、どこか余裕そうに見えたり、評価や報酬をきちんと得ている場面を、何度も目にしているからだ。

何も奪っていないのに消耗する。この違和感は、決して気のせいではない。

一般的に語られる消耗の理由

この状態について、世の中ではだいたい次のように説明される。

・働きすぎだから
・休み方が下手だから
・自己管理ができていないから
・メンタルが弱いから
・効率が悪いから

確かに、それぞれ一理はある。睡眠や休養、スキル不足が影響するケースもあるだろう。だから多くの場合、「もっと上手くやろう」、「自分を変えよう」という方向に話は進む。

しかし、この説明には前提がある。それは消耗の原因は、すべて個人の内側にあるという前提だ。

もし本当にそうなら、同じ環境で、同じように働いている人たちは、似たように消耗しているはずではないだろうか。だが、現実はそうなっていない。

説明できない「ズレ」が残っている

問題はここにある。

・誠実にやっている人ほど疲弊している
・誰も搾取していないのに、すり減っている
・サボっているように見える人が、なぜか余裕を持っている

この現象は、「努力不足」「自己管理不足」では説明しきれない。

さらに不思議なのは、消耗している側が、誰かから直接何かを奪われた実感を持っていないことだ。怒りの矛先も、敵も、はっきりしない。だからこそ、自分が悪いのではないか、気のせいなのではないかと、内側に原因を押し込んでしまう。

だが、何も奪っていないのに消耗する状態が、これほど広範囲で起きているのなら、そこには個人ではなく、別の要因があるはずだ。

それは「誰かの悪意」ではない。もっと無自覚で、もっと見えにくいもの。消耗は、性格の問題ではなく、配置と流れの問題かもしれない。ここで初めて、「構造」という視点が必要になる。

消耗は「性格」ではなく「構造」で起きている

ここで一度、視点を個人から切り離してみよう。

あなたが消耗しているのは、優しすぎるからでも、真面目すぎるからでもない。ましてや、能力不足が原因とも限らない。問題は、あなたが置かれている位置と役割にある。

多くの人は、「頑張る人が報われる」、「誠実な人が評価される」という前提で動いている。

だが現実には、頑張る人ほど“調整役”に回され、誠実な人ほど“穴埋め”として使われやすい。このとき起きているのは、個人の努力の問題ではなく、負荷が集まり続ける構造だ。

誰かが意図的に奪っているわけではない。それでも、「トラブルが起きないようにする人」、「全体を回す人」、「黙って引き受ける人」に、見えないコストが集中していく。

消耗は、性格の結果ではない。役割が固定された結果として生まれている。これを理解しない限り、どれだけ自己改善を重ねても、同じ場所で、同じ疲れ方を繰り返すことになる。

なぜ「何も奪っていない人」ほど削られるのか

ここで、この現象を小さな構造として整理してみよう。

まず、前提として存在するのは「安定を保とうとする場」だ。職場、チーム、コミュニティ、家庭など、どんな集団にも、「波風を立てたくない」という力が働く。その中で、次の流れが生まれる。

① 問題が起きる

ミス、トラブル、遅れ、不満。完全に防ぐことはできない小さな歪みが発生する。

② 調整できる人が動く

空気を読める人、責任感のある人、「自分がやった方が早い」と思える人が介入する。

③ 表面上は解決する

場は荒れず、衝突も起きない。周囲から見ると「何も問題がなかった」ように見える。

④ しかし、負荷は消えていない

問題は消えたのではなく、一人の中に吸収されただけになっている。

⑤ 同じ人に役割が固定される

「あの人がやってくれる」、「任せておけば安心」という評価が、さらに負荷を集める。

この循環が続くとどうなるか。

・奪っていない
・主張もしていない
・対立も生んでいない

それでも、消耗だけが積み上がっていく人が生まれる。逆に、自己主張が強い人、線を引ける人、「それは自分の仕事ではない」と言える人は、構造の外側に立つことができる。

結果として、誰も悪くないのに、誰かだけが削られる世界が完成する。これが、「何も奪っていないのに、なぜ消耗しているのか」という問いの正体だ。

あなたが疲れているのは、優しいからでも、弱いからでもない。構造の中で“吸収役”を担わされているからに過ぎない。この事実に気づいたとき、初めて「自分を責める以外の選択肢」が見えてくる。

これは「あなたの話」ではないだろうか

ここまで読んで、どこかで「わかる」と感じたなら、それは偶然ではない。あなたは、

・場が荒れないように気を配ってきた
・誰かのミスを黙って拾ってきた
・頼まれたら断れず、後回しにされても耐えてきた

そんな経験がないだろうか。そして気づけば、感謝されることも、評価されることも少ないまま、なぜか自分だけが疲れている。

このとき、あなたは「自分のやり方が悪いのかもしれない」、「もっと上手く立ち回るべきだったのかもしれない」と考えてきたはずだ。だが、本当に問うべきなのはそこだろうか。

・なぜ、その役割はいつも自分に回ってくるのか
・なぜ、引き受けた負荷は“仕事”として見えなくなるのか
・なぜ、何も奪っていないのに、回復の余地がないのか

もし立場が入れ替わっても、同じ構造の中にいれば、次の「吸収役」が生まれるだけだとしたら。それでもなお、これは「あなた個人の問題」だと言えるだろうか。

消耗の原因を「自分」から切り離すために

この文章は、「頑張り方を変えよう」と言うためのものではない。むしろ逆だ。頑張り続けてきた人ほど、一度“構造そのもの”を疑う必要がある。

構造録・第1章では、評価されない仕事、消耗する役割、責任だけが集まる立ち位置が、どのように作られ、固定されていくのかを感情論ではなく構造として解き明かしている。

自分を責めるのをやめたい人。「なぜ自分ばかり」が繰り返される理由を知りたい人。この場所から、違う視点を持ち帰りたい人へ。答えは、努力の先ではなく、構造の外側に置かれている。

もし今、「これは自分の話かもしれない」と感じたなら、その違和感を、ここで終わらせなくていい。

👉 構造録 第1章「略奪と創造」を読む