世界恐慌はなぜ起きた?自由放任の資本主義が行き詰まった理由

1929年10月、アメリカの株式市場で株価が暴落しました。いわゆる、世界恐慌の始まりとして知られる出来事です。企業が倒産し、銀行が破綻し、大量の失業者が生まれ、アメリカで始まった不況はヨーロッパをはじめ世界各地へ広がっていきました。
その結果、それまで有力だった「市場へ任せておけば経済は最終的に調整される」という考え方も大きく揺らぐことになります。ここから、
という大きな歴史的変化が起こりました。
しかし、「株価が暴落したから世界恐慌になった」「自由放任主義だったから恐慌になった」とだけ理解すると、重要な部分を見落とします。
1929年の株価暴落は重要な出来事でしたが、それだけで世界恐慌の長さと深刻さを説明することはできません。
- 銀行破綻
- 信用収縮
- 通貨供給量の減少
- デフレーション
- 借金負担の増大
- 消費と投資の減少
- 企業倒産
- 失業
- さらなる消費減少
- 金本位制を通じた国際的な金融収縮
こうした複数の要因が互いを悪化させました。Federal Reserve Historyも、1929年の株価暴落に続いて1930~31年の銀行恐慌、1931~33年の国際金融危機が重なったことを世界恐慌の深刻化における重要な過程として説明しています。(連邦準備制度歴史)
そして、この歴史から見えてくるのは、資本主義は、自由市場だけでは安定し続けるとは限らないという事実です。
この記事では、1929年の世界恐慌はなぜ起きたのか、資本主義のどの部分に問題が起こったのか、世界恐慌によって国家と市場の関係がどう変わったのかまで順番に読み解きます。


資本主義そのものの仕組みについては、「資本主義とは何か?仕組み・特徴・歴史・メリットと問題点をわかりやすく解説」で整理しています。
1. 世界恐慌とは何だったのか
世界恐慌とは、1929年にアメリカで始まり、1930年代に世界各国へ広がった非常に深刻な経済不況です。アメリカ経済は1929年夏ごろから後退し始め、10月には株式市場が歴史的な暴落を起こしました。
しかし、株価暴落だけで終わりませんでした。
という悪循環が形成されます。
Federal Reserve Historyによれば、アメリカでは世界恐慌の過程で財・サービスの総生産が約30%減少し、失業率は1933年に約25%へ達しました。世界恐慌はアメリカ史上最も深刻な経済収縮となりました。(連邦準備制度歴史)
さらに問題だったのは、当時の世界経済が互いにつながっていたことです。
アメリカからヨーロッパへ資金が流れる。ヨーロッパ諸国がアメリカへ債務を返済する。国際貿易が行われる。各国通貨が金と結び付いている。
こうした国際金融システムが存在していたため、一国の問題が一国内だけで完結しませんでした。その意味で世界恐慌は、単なる「アメリカの不況」ではありません。
資本主義が国際化したことで、一国の金融危機が世界規模の経済危機へ変わり得ることを示した事件でもありました。
資本主義がどのように商業資本主義、産業資本主義、金融資本主義へ変化してきたのかについては、下記を参考にしてください。

2. 世界恐慌はなぜ起きたのか|一つの原因では説明できない
「世界恐慌はなぜ起きたのか」という問いに対して、
- 株の暴落が原因
- 資本家の強欲が原因
- 過剰生産が原因
- 自由放任主義が原因
- 金本位制が原因
という一つだけの答えを出すのは難しいです。経済史では現在も、各要因をどの程度重視するかについて議論があります。
ただし、大きな流れとしては、
という連鎖として理解すると分かりやすくなります。
Federal Reserve Historyは、1930年秋から1933年冬にかけてアメリカのマネーサプライが約30%縮小したと説明しています。価格下落によるデフレーションは債務負担を重くし、消費を減らし、銀行、企業、個人の破綻を増加させました。(連邦準備制度歴史)
重要なのは、一つの失敗が、別の失敗を引き起こしたことです。
株価が下がっただけなら株式市場の問題です。ですが、株価下落、資産減少、消費減少、企業業績悪化、銀行の貸し倒れ増加、銀行不安、融資減少、企業投資減少、失業という形で金融と実体経済が結び付けば、問題は社会全体へ広がります。

ここに世界恐慌の恐ろしさがあります。
3. 1920年代の繁栄の裏で何が起きていたのか
1920年代のアメリカは「狂乱の20年代(Roaring Twenties)」と呼ばれるほど繁栄した時代でした。
自動車、家電、電話、大量生産、大量消費、金融、株式投資、さまざまな産業が成長しました。産業革命以来発展してきた大量生産型の資本主義が、新しい消費社会へ入った時代でもあります。
産業資本主義における以下の循環が、さらに巨大化していました。
ところが、同時に金融市場も急速に拡大します。
特に問題となったのが信用取引でした。
Federal Reserve Historyによれば、1920年代には証券会社や投資信託、信用取引が拡大し、投資家は株価の一部だけを自己資金で支払い、残りを借金して株式を購入することができました。典型的には購入価格の約10%を自己資金として支払い、残りを借りる取引も行われていました。(Federal Reserve History)
例えば、10万円持っていて、90万円借り、100万円分の株を買うと、株価が20%上がります。これなら、大きな利益を得られます。
しかし、逆もあります。株価が下がり、担保価値が下がり、追加資金を要求され、払えなければ株を売る。そして、大量売却でさらに株価が下がる。
借金を使った投資は、上昇局面では価格上昇を増幅します。しかし、下落局面では、逆方向にも作用します。これは現代の金融市場でも変わらない構造です。
生産による利益と金融資産の値上がりがどう違うのかについては、下記の記事も参考にしてください。

4. 1929年の株価暴落は世界恐慌の「原因」だったのか
1929年10月28日のブラック・マンデーにはダウ平均株価が約13%下落し、翌29日のブラック・チューズデーにも約12%下落しました。株価下落はその後も続き、1932年には1929年の最高値から約89%下落することになります。(Federal Reserve History)
これだけを見ると、「1929年の株価暴落から世界恐慌」という単純な関係に見えます。
しかし、実際にはそうではありません。Federal Reserve Historyは、1929年の株価暴落によって消費者や投資家の不安が高まり、自動車など高額商品の購入や企業活動が減少した一方、1930年秋には一時的に景気回復の兆候も見えていたと説明しています。
ところが、その後に銀行恐慌が発生しました。ここから状況が急激に悪化します。
したがって、株価暴落は世界恐慌の重要な引き金ではあったが、それだけで大恐慌を作ったわけではないと考える方が正確です。
例えば家が燃える場面を考えてみましょう。火花が小さな火となり、消化できなくなり、周囲に炎上して建物全体が燃え上がる。世界恐慌において1929年の株価暴落は「火花」に近い位置を占めています。

本当に問題だったのは、その後の銀行制度、金融政策、国際通貨制度が火災を止められなかったことです。
5. 銀行破綻が世界恐慌を深刻にした理由
世界恐慌を理解するうえで、最も重要な部分の一つが銀行恐慌です。銀行は単にお金を保管する場所ではありません。
という形で、社会の資金を循環させています。ところが、銀行への信用が失われると、以下のような悪循環が起きてしまいます。
1930年11月から銀行恐慌が発生し、その後1931年、1932年、1933年へと金融不安が繰り返されました。
FDICの歴史資料によれば、1930年だけでも約1,350の銀行が営業停止となり、1933年には約4,000の銀行停止が発生しています。1930~33年を通して約9,000の銀行が営業を停止したとされています。(FDIC)
銀行が消えることには、もう一つ問題があります。
その銀行が持っていた「どの企業が信用できるか」、「誰なら返済できるか」、「地域経済がどうなっているか」という情報まで失われます。
Federal Reserve Historyも、銀行破綻によって地域の借り手に関する情報が失われ、金融仲介機能が弱くなったことを指摘しています。(Federal Reserve History)
つまり、金融危機、融資減少、企業投資減少、生産減少、雇用減少という形で、金融業界の問題が普通の労働者へ移っていくわけです。

ここから分かるのは、金融は生産そのものではなくても、生産を止める力を持っているということです。
6. デフレーションと借金が恐慌をさらに悪化させた
世界恐慌では物価が大きく下落しました。一見すると、「物が安くなるなら良いのでは?」と思うかもしれません。
しかし、借金が存在する社会では深刻な問題になります。
例えば、100万円借りている人がいるとします。物価も賃金も変わらなければ、100万円の借金です。ところが、物価や賃金が30%下がったとしても、借金が自動的に70万円になるわけではありません。100万円のままです。
つまり、物価が下落して、売上が減少し、賃金減少しても、借金額は変わらない。結果的に実質的な負担が増えるということになります。
企業であれば、商品価格が下がり、売上が減り、借金返済が苦しくなり、設備投資を止めたり、人員削減を行い、失業する人たちが増えるという流れになります。
銀行側では、企業が返済できないので、不良債権が増え、銀行経営が悪化する。そこで、融資を絞り、さらに企業が苦しくなることになります。
このように、借金、デフレーション、銀行破綻、失業、需要減少が互いを増幅させました。

Federal Reserve Historyも、マネーサプライの縮小によるデフレーションが債務負担を増大させ、消費を減らし、倒産と失業を増加させたことを世界恐慌の深刻化における重要な要因として説明しています。(Federal Reserve History)
ここには、資本主義特有の問題があります。
企業は将来の売上を見込んで投資します。家庭も将来の収入を見込んで借金します。銀行も返済されることを前提として貸します。
つまり、資本主義は、未来もある程度成長するという期待の上で多くの契約が成立しています。その期待が崩れると、逆回転が始まります。
7. 金本位制はなぜアメリカの不況を世界へ広げたのか
世界恐慌が「世界」恐慌になった理由を理解するためには、金本位制を見る必要があります。当時、多くの国では通貨価値が金と結び付いていました。
例えば、
この国の通貨○円=一定量の金。
という交換関係を維持します。
一見すると安定した制度です。しかし、国から金が流出した場合には問題が起こります。
という圧力が発生します。
つまり、不況だから金融を緩和したくても、「金を守るために金融を引き締めなければならない」という逆方向の政策を迫られる場合があります。
Barry EichengreenとPeter Teminは、戦間期の金本位制への固執が各国の政策選択を制約し、各国の対応が相互作用することで世界を大恐慌へ引き込んだと論じています。(NBER)
例えば、1931年、イギリスが金本位制を離脱しました。すると、「アメリカも金との交換を止めるのではないか。」という不安が起こります。
ドルを持っていた人が、ドルから金へ交換しようとします。すると、アメリカから金が流出してしまいます。
それを止めるため、FRB(連邦準備制度)は金利を引き上げます。
しかし、不況下で金利を上げれば、企業や家庭はさらにお金を借りにくくなります。
つまり金本位制は、アメリカの問題だったのが、ヨーロッパに波及し、ヨーロッパの問題となって、再びアメリカの問題になって降りかかるという経路を作りました。
グローバルな資本主義には、商品、資本、技術、情報を国境を超えて利用できるという巨大な利点があります。しかし逆に、危機まで国境を越えて移動するという側面があります。世界恐慌はその典型でした。

8. 保護貿易は世界恐慌を悪化させたのか
景気が悪くなると、「外国の商品を入れなければ、国内産業を守れる。」という考え方が強くなります。
1930年、アメリカではスムート・ホーリー関税法が成立しました。各国も保護主義を強めます。すると、アメリカが関税を上げ、他国も対抗し、結果的に、世界貿易が減り、輸出企業の売上が減り、生産と雇用が減るという問題が発生します。
ただし、ここも注意が必要です。
スムート・ホーリー関税が世界恐慌を最初に起こしたわけではありません。不況はすでに始まっていました。
IMFの資料でも、保護主義は世界恐慌の原因そのものではないものの、貿易障壁の上昇が恐慌を悪化させ、回復を阻害したと整理されています。(IMF)
これは非常に興味深い問題です。
平常時
危機時
平常時には、国際分業、貿易拡大、企業成長という関係があります。しかし危機になると、国内企業を守るため関税をかけ、相手国も対抗し、世界市場縮小という逆方向の動きが起こります。
各国が自国だけを守ろうとした結果、全体の市場を縮小させる場合があるわけです。

ここでも、個別の合理性と全体の合理性が一致しないという資本主義の問題を見ることができます。
9. 世界恐慌は「自由放任資本主義の失敗」だったのか
ここがこの記事で最も重要な部分です。世界恐慌はしばしば、自由放任で政府が何もしなかった結果、資本主義が暴走し、世界恐慌が起き、ルーズベルトが政府介入したという話として説明されます。
大きな歴史の流れとしては分かりやすいのですが、そのままでは正確ではありません。1929年当時のアメリカにも中央銀行である連邦準備制度が存在しました。
政府も関税政策を行っていました。銀行制度も法律によって作られていました。そして、フーバー政権も完全に何もしなかったわけではありません。
公共事業を増やし、FRBへ信用供給を求め、1932年には復興金融公社(Reconstruction Finance Corporation)を設立し、銀行や鉄道などへ緊急融資を行いました。
そのため、「政府が一切介入しない完全自由市場が失敗した」と説明するのは正確ではありません。
では何が行き詰まったのでしょうか。
より正確には、市場の価格調整と民間企業の自己回復へ大きく依存し、金融危機、失業、需要崩壊に対して政府・中央銀行が十分な速度と規模で対応できなかった制度と経済思想が限界を見せました。
例えば、ある企業の売上が減ったとします。
通常なら、価格を下げる、商品が売れる、市場が調整されると考えられます。しかし、世界恐慌では、価格が下がる、企業売上が減る、賃金を下げる、労働者の所得が減る、消費が減る、さらに商品が売れなくなる。という現象が起こります。
企業一社から見ると、「売れないから人件費を削減する。」のは合理的です。
ところが、すべての企業が同時に人件費を削減すると、社会全体では消費者の所得が減ります。すると、企業の商品がさらに売れなくなります。
個々の企業にとって合理的でも、全企業が行うと、社会全体では不況を悪化させるという矛盾があります。
、市場では個々の経済主体が自分にとって合理的な判断を行います。しかし、個人にとって合理的な行動が、社会全体にとって最適とは限りません。世界恐慌はこの問題を巨大な規模で示した事件でした。
要するに、社会システムのバグとも言えます。資本主義における自由競争の原理については下記の記事で解説しているので、参考にしてください。

10. ニューディール政策は資本主義をどう変えたのか
1933年、フランクリン・D・ルーズベルトが大統領に就任します。ここからニューディール政策が始まります。
重要なのは、アメリカが資本主義を捨てたわけではないことです。
企業、私有財産、市場、株式市場、起業は残っています。変わったのは、市場を安定させるために国家が介入する領域が大きくなったことです。
銀行恐慌に対しては、1933年3月に全国的なバンク・ホリデーが実施され、銀行制度の立て直しが行われました。さらに、1933年の銀行法によってFDIC、連邦預金保険公社が設立されます。
預金者からすれば、銀行が倒産するので、預金を失うかもしれないという恐怖が銀行取り付けを生みます。
そこで、一定額まで預金を保証し、銀行へ殺到する必要が小さくし、銀行システムへの信用を維持するという仕組みを作ったわけです。
FDICによれば1930~33年には約9,000行が営業停止しましたが、1933年のFDIC設立後には預金保険と銀行監督が金融システム安定化の重要な制度となりました。(FDIC)
さらに1935年には社会保障法が成立します。
老齢保障、失業保険、福祉など、生活リスクへ国家が関与する制度が形成されていきます。社会安全保障局も、1930年代の深刻な恐慌によって州、地方自治体、民間慈善だけでは需要へ対応できなくなり、連邦政府の行動が必要となったことを制度成立の背景として説明しています。(Social Security Administration)
ここに非常に大きな転換があります。
それ以前の考え方では、失業すると、本人や家族でどうにかする事前による救済で、地方政府による支援が中心でした。
しかし、世界恐慌ほど失業者が増えると、それでは対応できません。そこで、失業者が増えて、社会全体の経済問題となれば、国家による失業保険・雇用政策という考え方が強くなります。

世界恐慌は、個人の失敗とされていた問題を、社会構造の問題として見る契機にもなったのです。
11. ケインズは世界恐慌に何を見たのか|修正資本主義への転換
世界恐慌後の経済思想を語るうえで欠かせないのが、ジョン・メイナード・ケインズです。ケインズが1936年に刊行した『雇用・利子および貨幣の一般理論』では、経済が必ず自然に完全雇用へ戻るとは限らないという考え方が展開されました。
例えば、不況になります。企業は「商品が売れない」ので、投資しない。家庭では「失業が怖い」ので、消費しない。銀行は「貸し倒れが怖い」ので、融資しない。全員が支出を減らします。
一人の家庭から見れば、「不況なので貯金する。」のは合理的です。一企業から見ても、「売れないので設備投資をしない。」のは合理的です。
しかし、全員が同時に支出を減らすと、「誰かの支出=誰かの所得」でもあるため、需要が減少し、企業の売上が減少、賃金・雇用が減少、さらに需要減少という悪循環が起こります。そこで、政府が、道路を作る、公共事業を行う、雇用を作る、支出するなどによって需要を補うという考え方が強くなります。

ただし、「ニューディール政策=ケインズ政策」と完全に同一視することにも注意が必要です。
ニューディールは1933年から始まっていますが、『一般理論』の刊行は1936年です。また、1930年代のアメリカの回復がどこまで財政政策、金融政策、金本位制離脱などによるものだったのかについても研究者の議論があります。
Christina Romerは、1933~42年のアメリカ経済の回復について金融拡張、とりわけ金流入によるマネーサプライ拡大を重視しました。一方、近年のFederal Reserve研究では、金本位制離脱後の財政と金融の相互作用、赤字財政も実質GNPと物価の回復に重要な役割を果たしたという分析も示されています。(NBER)
つまり、国家介入だけで解決した、金融政策だけで解決した、ニューディールだけで解決したと一つに固定することはできません。
重要なのは、世界恐慌以後、市場を国家が補完することそのものが資本主義社会の標準的な選択肢になったことです。
これは資本主義の消滅ではありません。資本主義の修正です。

12. 世界恐慌はいつ終わったのか|ニューディールだけで完全回復したわけではない
世界恐慌について、「ルーズベルトがニューディールを行い、恐慌が終わった。」と説明されることがあります。これも半分正しく、半分単純化されています。
アメリカ経済は1933年以降、明確に回復へ向かいました。しかし、完全雇用へすぐ戻ったわけではありません。
さらに1937年には再び大きな景気後退が起こります。
Federal Reserve Historyによれば、1937~38年の景気後退では実質GDPが約10%減少し、失業率が再び20%へ達しました。金融・財政両面の引き締めが、この再不況の原因として研究されています。(連邦準備制度歴史)
つまり、1933年に政策転換して一時的に回復したものの、1937年に再不況が起き、再度政策転換したという複雑な経路です。
最終的にアメリカ経済が完全雇用へ近づいたのは、第二次世界大戦に向けた巨大な軍需支出が行われた時期です。Federal Reserve Historyも、完全な産出量と雇用への回帰は第二次世界大戦期に実現したとしています。(連邦準備制度歴史)
1939~41年の回復について、Robert GordonとRobert Krennは軍事支出を含む財政政策の大きな寄与を推計しています。(NBER)
しかし、「戦争が経済に良い。」という結論にはなりません。
戦争では大量の資源を破壊します。人命も失われます。問題は別のところにあります。
国家が、工場を動かす、労働者を雇う、大量発注する、巨額を支出することで、民間が支出しなくなっていた状況から経済を動かせたということです。
これは、生産能力が存在していても、それを購入する需要がなければ経済は動かないことを示します。

ただし、「ニューディール政策=ケインズ政策」と完全に同一視することにも注意が必要です。
13. まとめ | 世界恐慌から資本主義をどう読むか
世界恐慌を、「資本主義は間違っていた。」で終わらせるのは簡単です。しかし、その見方では十分ではありません。
逆に、「たまたま政策を間違えただけで、資本主義には何の問題もない。」と考えるのも不十分です。
世界恐慌から見るべきなのは、誰が利益を得て、誰が損失を負担するのかという構造です。
好景気では、企業利益が増える、株価が上がる、資産所有者の財産が増える、投資家が利益を得るということが起こります。しかし危機になると、企業倒産、失業、住宅喪失、預金喪失、賃金低下という形で、その損失が社会へ広がります。
つまり、金融市場で始まった問題が、金融商品を一度も買ったことのない労働者へ届く場合があります。
この構造は現代にもあります。
金融資産を所有していない人でも金融危機から逃れられません。
そこで神格反転プロジェクトでは、「金融市場へ参加したのは自己責任。」、「失業したのは個人の能力不足。」だけで問題を見ることを避けます。
見るべきなのは、
- 誰が信用を作ったのか。
- 誰が借金を増やしたのか。
- 誰が資産価格上昇から利益を得たのか。
- 誰が危険を決めたのか。
- 危機が起きたとき誰が損失を負ったのか。
- 国家が救済した場合、その費用を最終的に誰が負担したのか。
という流れです。
ただし、世界恐慌の教訓を、「市場をなくして国家がすべて決めればいい。」と読むのも危険です。
国家にも失敗があります。金本位制へ固執したのも国家と中央銀行です。金融政策を誤ったのも公的機関です。保護貿易を行ったのも政府です。国家が巨大な経済権力を握れば、政治腐敗、縁故配分、官僚組織の硬直化、非効率、権力集中という別の問題が生まれます。
だからこそ、国家のトップには賢者が立たなければなりませんし、その行いについてパフォーマンスではなく、やっていることそのものの結果を見なければいけません。
そこで神格反転では、資本主義のすべてを消すのではなく、市場と公共統制を分けて考えます。
サイト内では「国家社会主義」という言葉を使用していますが、歴史上のNational Socialism、つまり、一般的にイメージされるナチズムとは別の概念です。本記事では誤解を避けるため、内容を表す言葉として国家主導型・公共統制型の社会主義モデルと整理します。

詳しくは下記の記事でまとめているので、参考にしてみてください。
重要なのは、何を市場へ任せ、何を公共側で保障し、誰にどこまで所有権と決定権を持たせるのかという制度設計です。
そして公共側を強くするなら、同時に、行政情報の公開、独立監査、利益相反規制、地方への権限分散、公企業の経営情報公開、政策決定過程の透明化などによって国家そのものを監視しなければなりません。
市場独占を批判して国家独占を作れば、問題が移動するだけだからです。
世界恐慌が人類へ示した最大の教訓は、資本主義を放置すれば必ず崩壊するでも、国家へすべて任せれば安全になるでもありません。
より具体的です。市場は巨大な生産力と革新を生み出せる。
しかし、市場の内部には、信用収縮、金融危機、失業、独占、需要不足のように、個々の企業や個人だけでは解決できない問題が発生します。そして国家はそれを補完できる一方、国家自身も誤ることがあります。
だからこそ、市場、企業、金融、国家、労働者、消費者を別々に見るのではなく、誰が決め、誰が利益を得て、誰が最後に損失を負うのかという全体構造を見る必要があります。
世界恐慌以前の資本主義と世界恐慌後の資本主義が同じではないことは重要です。
19世紀には、自由市場中心の資本主義、世界恐慌、そして、金融・雇用・需要の巨大な危機。1930年代には、金融規制、預金保険、社会保障、国家介入。第二次世界大戦後には、福祉国家、中央銀行、社会保障、財政政策を組み込んだ資本主義という変化が起こりました。

つまり、世界恐慌によって資本主義が滅びたのではありません。資本主義は、自らの危機を受けて国家介入を内部へ取り込み、別の資本主義へ変化したのです。
14. 見えない構造を読み解きたいあなたへ | 神格反転の書
歴史を見る意味は、「1929年10月24日に何が起こったか。」という年号を暗記することだけではありません。
- 金融市場が膨張する。
- 借金が増える。
- 資産価格が上昇する。
- 人々が「今回は違う」と考える。
- 価格が崩れる。
- 信用が止まる。
- 実体経済へ波及する。
- 国家が介入する。
この構造は、2008年の世界金融危機をはじめ、その後も形を変えて繰り返されています。
次の経済危機が1929年と同じ姿で現れるとは限りません。しかし、利益が膨張しているときに、誰が危険を蓄積し、その危険が現実になったとき誰へ押し付けられるのかを見るという視点は、現在でも使うことができます。
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15. 参考文献・一次情報
世界恐慌・株価暴落・銀行恐慌
- Federal Reserve History
“The Great Depression.”
1929年の景気後退、株式市場の暴落、1930~33年の銀行恐慌、マネーサプライの約30%縮小、デフレーション、1933年の銀行システム危機まで、世界恐慌の全体的な流れを確認するために参照。
https://www.federalreservehistory.org/essays/great-depression - Federal Reserve History
“Stock Market Crash of 1929.”
1920年代の株式市場の拡大、信用取引、1929年10月28日のブラック・マンデーと29日のブラック・チューズデー、1932年まで続いた株価下落を確認するために参照。また、1929年の株価暴落だけでは世界恐慌全体を説明できないことを確認できる。
https://www.federalreservehistory.org/essays/stock-market-crash-of-1929 - Federal Reserve History
“Banking Panics of 1930–31.”
1930年秋以降の銀行取り付け、預金引き出し、銀行による現金・準備金保有の増加、信用収縮が世界恐慌を深刻化させた過程を確認するために参照。
https://www.federalreservehistory.org/essays/banking-panics-1930-31 - Federal Deposit Insurance Corporation(FDIC)
“1930–1939.”
1930年代の銀行停止・銀行危機、1933年の全国銀行休業、Banking Act of 1933、FDIC設立までの流れを確認するために参照。1930~33年に約9,000の銀行が営業を停止した歴史的状況も確認できる。
https://www.fdic.gov/history/1930-1939
金本位制・国際的波及・保護貿易
- Eichengreen, B. & Temin, P.(1997)
“The Gold Standard and the Great Depression.”
NBER Working Paper, No. 6060.
戦間期に政治指導者や中央銀行が金本位制へ固執した理由と、それぞれの国の政策が相互作用することで世界恐慌を深刻化させた過程を確認するために参照。
https://www.nber.org/papers/w6060 - Eichengreen, B.(1992)
Golden Fetters: The Gold Standard and the Great Depression, 1919–1939.
Oxford University Press.
戦間期の金本位制が国際金融システムを脆弱化させ、アメリカで生じた金融・デフレ圧力を各国へ伝播させる仕組みとなったこと、さらに各国による金融緩和や危機対応を制約したことを確認するために参照。
https://academic.oup.com/book/36016 - Henn, C. & McDonald, B.(2010)
“Avoiding Protectionism.”
Finance & Development, International Monetary Fund.
1930年代のスムート・ホーリー関税などの保護主義について、保護貿易そのものが世界恐慌を最初に発生させた原因ではない一方、貿易障壁の上昇が恐慌を悪化させ、世界貿易の回復を阻害したことを確認するために参照。
https://www.imf.org/external/pubs/ft/fandd/2010/03/henn.htm
フーバー政権・ニューディール・金融制度改革・社会保障
- Federal Reserve History
“Reconstruction Finance Corporation Act.”
1932年にフーバー政権がReconstruction Finance Corporation(RFC)を設立し、銀行、金融機関、鉄道などへの緊急融資を開始したことを確認するために参照。世界恐慌期のアメリカを「政府が完全に何もしなかった純粋な自由放任経済」と単純化しないための資料としても参照。
https://www.federalreservehistory.org/essays/reconstruction-finance-corporation - Federal Deposit Insurance Corporation(FDIC)
“FDIC: Historical Timeline.”
1933年のBanking ActによるFDICの設立、1934年1月1日の連邦預金保険制度開始、銀行システムへの信頼回復を目的とした制度改革を確認するために参照。
https://www.fdic.gov/90years - Federal Deposit Insurance Corporation(FDIC)
“A Brief History of Deposit Insurance.”
1933年の銀行危機、Banking Act of 1933による預金保険制度の成立、FDICの形成、その後の銀行監督・預金保護制度の発展を確認するために参照。
https://www.fdic.gov/resources/publications/brief-history-of-deposit-insurance - Social Security Administration
“Social Security Programs in the United States – Historical Development.”
世界恐慌によって州政府、地方自治体、民間慈善だけでは失業や生活困窮へ対応できなくなり、1935年Social Security Actによって老齢保障と連邦・州による失業保険制度などが形成された経緯を確認するために参照。
https://www.ssa.gov/policy/docs/progdesc/sspus/histdev.html
世界恐慌からの回復・金融政策・財政政策
- Romer, C. D.(1991)
“What Ended the Great Depression?”
NBER Working Paper, No. 3829.
1933年以降のアメリカ経済の回復について、金流入とマネーサプライ拡大による金融的要因を重視した代表的研究。世界恐慌からの回復について、ニューディールの財政政策だけを単独の原因としないために参照。
https://www.nber.org/papers/w3829 - Jacobson, M. M., Leeper, E. M. & Preston, B.(2023)
“Recovery of 1933.”
Finance and Economics Discussion Series, 2023-032, Board of Governors of the Federal Reserve System.
1933年の金本位制離脱、金融政策と財政政策の相互作用、緊急支出と政府債務の拡大が物価と実質GNPの回復へ与えた影響を分析した研究。世界恐慌からの回復について金融要因だけでなく財政要因も検討するために参照。
https://www.federalreserve.gov/econres/feds/files/2023032pap.pdf - Federal Reserve History
“Recession of 1937–38.”
1933年以降の回復途中で発生した1937~38年の再不況について、金融引き締め、金流入の不胎化、財政政策の引き締めなどが景気へ与えた影響を確認するために参照。ニューディール開始後にアメリカ経済が一直線に完全回復したわけではないことを確認できる。
https://www.federalreservehistory.org/essays/recession-of-1937-38













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