高単価・長期型への恐怖
記録者:暁月 魔鬼真
高単価・長期型
この言葉を最初に見たとき、
正直に言えば、私は身構えた。
それは、
「楽して稼ぐ」とか
「情報商材」とか
そういう世界と地続きに見えたからだ。
私は、あの手のものが嫌いだ。
いや、
正確に言えば、怖かった。
高単価の商品というのは、
一歩間違えれば、
相手の人生に深く介入することになる。
価格が高いほど、
期待も、依存も、責任も重くなる。
「もし、これで相手の人生が悪い方向に進んだら?」
そう考えると、
軽々しく値段をつけることなどできなかった。
短期・低単価なら、
まだ逃げ道がある。
「合わなかったらやめればいい」
「失敗しても勉強代だ」
そう言える。
だが、
長期で関わるということは、
その人の時間、思考、選択に
影響を与えるということだ。
それは、
私が最も避けたかった行為でもあった。
私はずっと、
「人を縛りたくない」と思っていた。
誰かを依存させる形で
生き延びることに、
強い抵抗があった。
だから、
高単価・長期型という言葉は、
私にとって
「やってはいけない領域」
に見えていた。
だが同時に、
一つの事実にも気づいていた。
低単価・短期のものほど、
雑に扱われるという現実だ。
人は、
簡単に手に入ったものを、
簡単に手放す。
どれだけ中身が誠実でも、
安いというだけで
「軽いもの」として処理されてしまう。
私は何度も見てきた。
本質的な話ほど、
無料や低価格では
真剣に受け取られない。
むしろ、
・刺激的で
・即効性があり
・分かりやすい嘘
のほうが、
遥かに広く届いてしまう。
それを見て、
私は無力感を覚えていた。
では、
どうすればいいのか。
考え続けた末に、
一つの結論にたどり着いた。
価格そのものが問題なのではない。
「関係性の設計」が問題なのだと。
依存させる高単価と、
自立を前提にした高単価は、
まったく別物だ。
長期で関わるからこそ、
「去れる余地」を最初から用意する。
答えを与え続けるのではなく、
問いを残す。
正解を提示しない。
この思想は、
神格反転そのものに
そのまま反映されている。
構造録は、結論を出さない。
物語も、正義を確定させない。
読者が自分で考え、
自分で選び、
自分で離れることができるように作っている。
それでも、
恐怖が消えたわけではない。
「これは本当に、
人を縛らない形になっているか?」
その問いは、
今も自分に向け続けている。
だが、
だからこそ続けられているとも思う。
恐怖があるということは、
慎重であろうとしている証拠だからだ。
高単価・長期型は、
万能でも、正義でもない。
ただ、
本気で向き合う人だけが
本気で受け取るための配置だと、
今は考えている。
この形が正しいかどうかは、
まだ分からない。
だが、
少なくとも私は、
この恐怖を無視しないまま
進んでいる。
それだけは、
ここに記しておこう。
