なぜ“稼げる”より“続けられる”を選んだのか
記録者:魔鬼真 暁月
正直に言えば、
「稼げる方法」は、いくらでも知っていた。
トレンドを追い、
需要のある言葉を選び、
成功例をなぞる。
そうすれば、
ある程度の結果は出る。
実際、
それで数字が動いた経験もある。
だが、
私は途中で止まってしまった。
理由は単純だ。
続かなかった。
最初は勢いで進める。
成果も出る。
だが、
時間が経つにつれて、
身体が重くなる。
言葉を書くたびに、
どこか自分を裏切っている感覚が残る。
「これは、誰のための言葉だ?」
そう問いかける回数が増えていった。
稼げるやり方というのは、
多くの場合、
「外側」に合わせる。
市場
アルゴリズム
他人の期待
成功者の再現
そこに自分を寄せていく。
だが、
私はその調整に
耐えられなかった。
続けられないものは、
いずれ壊れる。
自分の中で
何度もそれを見てきた。
途中で放り出すくらいなら、
最初からやらない方がいい。
そう思うようになった。
「稼げる」は、
短距離走に向いている。
だが、
私がやろうとしているのは、
長距離走だった。
5年
10年
それ以上
自分が生きている限り、
考え続け、
書き続けられるかどうか。
その基準で考えたとき、
選択肢は一つしかなかった。
続けられるとは、
楽という意味ではない。
むしろ、
苦しい。
考え続けなければならないし、
簡単に答えも出ない。
評価も遅い。
だが、
嘘をつかなくていい。
これが、私にとっては
何より重要だった。
稼げることを選べば、
自分の思想を
少しずつ削っていくことになる。
最初は小さな妥協だ。
だが、
その妥協は積み重なり、
いつの間にか
「何のためにやっているのか」
分からなくなる。
私は、
その状態を恐れた。
神格反転は、
続けられる形を優先して設計している。
時間がかかってもいい。
すぐに理解されなくてもいい。
ただ、
自分が立っていられる場所で
書き続ける。
それだけは、
手放さないと決めた。
「稼げる」かどうかは、
結果でしかない。
だが、
「続けられる」かどうかは、
選択だ。
私は、
この選択をした。
正解かどうかは、
まだ分からない。
だが、
少なくとも今、
私は書き続けている。
それが、
この選択の答えだ。
